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羽生結弦、プルシェンコカットの少年が世界初の4A公式認定を成し遂げるまで【写真で振り返る前人未踏の軌跡】

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.07.20 06:00 最終更新日:2022.07.20 06:00

羽生結弦、プルシェンコカットの少年が世界初の4A公式認定を成し遂げるまで【写真で振り返る前人未踏の軌跡】

2009年、ジュニア大会で優勝し満面の笑みを浮かべる “プルシェンコカット” の羽生(写真・共同通信)

 

 フィギュアスケート男子で五輪連覇の羽生結弦が、7月19日、都内で記者会見を開き、「プロのアスリートとしてスケートを続けていくことを決意しました」と、競技会への出場をやめ、プロに転向する意向を表明した。

 

 第一線からの引退について「寂しさは特にない。これからさらに頑張りたい。試合という限られた場ではなく、いろんな方法で見てもらえる場をつくっていきたい」と答え、「オリンピックは、自分にとっては2連覇できた、今の自分の立場だったり、発言をさせていただく場所だったりを作ってくれている大切なもの」と語った。

 

 

 五輪2連覇、そして4回転アクセルを世界で初めて公式認定させた羽生。前人未踏の “絶対王者” は、いかにして生まれたのか。

 

 1994年、仙台市に生まれた羽生は、姉の影響で4歳からスケートを始めた。幼いころから才能は突出しており、早くも小学4年生でノービス大会(ジュニアの下)で初優勝。その後は、各カテゴリーで優秀な成績を収めてきた。彼を幼い頃から取材し続けるスポーツライターが語る。

 

「とにかく負けず嫌い。小学生時代から、ほかの子ができる技を自分ができないと我慢ができなかった。すでに小学6年生のころにはトリプルアクセルを跳んでいた。

 

 その性格はいまでも変わらず、たとえばゲームでも負けるのが嫌いで、勝つまでやめない。ただ、競技で頂点を目指すならその性格は必要で、幼いころから五輪王者になる資格を持っていた」

 

 負けず嫌いがゆえに、日々の努力を怠ることもなかった。

 

「彼は練習ノートをつけていて、事細かに書いてあります。彼がロシアのプルシェンコに憧れていたことは有名です。高校生になるまでは、髪型まで “プルシェンコカット” にしていたんですから。

 

 ただ、彼のことをアイドル視していたわけではないんです。

 

 自分と彼の違いがどこにあるのか、どの部分が足りないのか。そうした徹底的な分析と、その隔たりをなくすための練習方法などもノートに書き、実践していた。『あの若さでそこまでやるのか』と担当記者の間ではジュニア時代から有名でした」

 

 16歳のとき、アイスリンクで練習中だった羽生は東日本大震災に見舞われた。

 

「家族で4日間、避難所で過ごしたそうです。大勢の死者や行方不明者が出るなかで、『スケートを続けていいのだろうか』と罪悪感に悩まされたこともありました。でも、彼はスケートを通じて人々に勇気を与えることを選びました」(同)

 

 羽生の努力は2014年、ソチ五輪で結ばれることになった。フィギュアスケート男子シングルで、アジア人初となる冬季五輪での金メダルを獲得したのだ。

 

「金メダルが最有力視されていてたパトリック・チャンが調子を崩し、ミスを連発した一方、羽生はショートを完璧に演じ切りました。どの選手もベストの状態を出せずに苦しむなか、羽生の日頃から鍛えてきた集中力が勝敗を分けました」(スポーツライター)

 

 その後は、ケガや病に苦しみつつ、そのたびに困難を乗り越え、数々のタイトルを手にしてきた。特に2015年のNHK杯では、パトリック・チャンが保持していた295.27点の世界歴代最高得点を大幅に超える322.40点を記録し、前人未到のスコアで優勝した。そして、2018年、アジアでは初となる五輪2連覇を果たしたのだ。

 

「平昌五輪は、ケガに苦しむなかでの挑戦でした。痛み止めなしでは3回転ジャンプすらできない状態でしたが、ミスを抑え、その場で技の構成を変えるなど、これまでの経験を生かし切った演技となりました」(同)

 

 帰国後は、その功績を讃え国民栄誉賞を授与された。受賞の際、「ここまで切り開いてくださった方々がたくさんいるなかで、代表として僕がいただいた」と語ったことも記憶に新しい。

 

「しかし、その後はおもに右足首のケガに悩まされ続けました。競技面でも思ったように成果が出せず、悔し涙を流すことが何度もありました。しかし本人は、そんななかでも4回転アクセルを世界で初めて成功させることに注力したんです。

 

 そして迎えた2022年の北京五輪。宣言どおり、4回転アクセルに挑戦しました。結果的に転倒してしまいましたが、国際スケート連盟の公認大会で、史上初めて4回転アクセル(4A)が認定されました。

 

 メダルは叶いませんでしたが、本人も『僕の中では、ある意味納得しています』と語っていましたね」(同)

 

 そして今回の “決意表明” だ。記者から「羽生結弦として生きてきて大変だったことは」と質問されると、このように答えた。

 

「僕にとって『羽生結弦』という存在は、常に重荷です。こうやって会見で話すときとかも、ものすごく緊張していて。今まで考えてきたことがすべて吹っ飛ぶくらい、手足が真っ青になるくらい緊張していた。そういった意味で、自分自身も完璧でいたいって強く願うし、これからも完璧でいたい。もっといい羽生結弦でいたい」

 

 競技シーンを退いた完璧な羽生結弦が何を見せてくれるのか――楽しみはつきない。

 

( SmartFLASH )

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