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松中信彦&多村仁志「僕らは漫画『キャプテン』で育った」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2017.05.12 16:00 最終更新日:2017.05.12 16:00

松中信彦&多村仁志「僕らは漫画『キャプテン』で育った」

松中信彦


 魔球があるわけでも、必殺技があるわけでもない。並々ならぬ努力とリーダーシップで、弱小校が強豪校に勝つ!  41歳でこの世を去った、ちばあきおの名作『キャプテン』。

 

 初代の主人公は、野球の名門・青葉学院の2軍の補欠だった谷口タカオ。墨谷二中に転校し、キャプテンとなり、たゆまぬ努力で真のキャプテンへと成長していく物語だ。

 

「『キャプテン』は、小学校のころ、チームメイトからコミックを借りて、授業中に読んでいました(笑)」
 

 こう語るのはWBC初代4番の松中信彦だ。2006年のWBCでは、全試合にフル出場。チームトップの打率(4割3分3厘)を残し、世界一の原動力となった。松中氏の野球人生は、まさに『キャプテン』の谷口のようだった。

 

「僕の親父は、谷口タカオの親父にそっくりだったんです。仕事も同じ土建業で、野球についてはド素人で何も知らないのにとても熱心で。自宅に、タイヤを上から吊るしたものや、ティーバッティング用のネットを作ってくれて、『マメができるまでバットを振れ』とか。200回、300回とやりました。厳しい親父でしたね」

 

『キャプテン』では、投手不足のため、試合の2週間前から谷口がピッチング練習を始めた。松中氏も「絶対不可能」なことに挑んだという。

 

「八代第一高校(現・秀岳館)に入ってすぐに肘を壊して『このまま続けたら野球ができなくなる』と医者に宣告されて。このとき、親父が『左投げを右投げにすれば?』って。まったくの素人考えですけど、僕はやるしかないと。親父と右投げの特訓を始めて、6カ月後に春の大会で右投げデビューしました。同級生からも『あいつ右投げだった?』って驚かれましたね。その努力を認めてもらったのか、3年のとき、チームのキャプテンになりました。

 

 現役時代、『プレッシャーがかかる場面でよく打てますね』と言われましたが、それは人の2倍、3倍の練習をやってきたから。練習することで結果が出て、自信がついて野球が面白くなる。まさに、谷口キャプテンの教えですね」

 

 2006年本塁打、打点チームトップだった多村仁志も『キャプテン』で育った。

 

「谷口をキャプテンに指名した先代のキャプテンがカッコいい。谷口の陰の努力を見抜いて選んだ。彼は人を見る目がありますね」

 

 第1回WBCで、3本の本塁打を放ち、世界一に貢献した多村氏。小学2年生のとき、「兄の影響で」野球を始め、テレビアニメの『キャプテン』を観て大きな刺激を受けたという。

 

「小、中学時代は、クラブチームに所属していましたが、すごく弱いチームで、大会でも1回戦、2回戦で負けていて、初期の墨谷二中のようでしたね。『キャプテン』は、下手でも猛練習することでうまくなれる、っていう見習うべき野球漫画でした。

 

 僕も谷口のように、陰で猛練習をするタイプ。人前でアピールする練習は嫌いで。『あいつそんなに練習してないのにうまい』って言われたくて(笑)。見えないところで一生懸命練習する、という原点は、『キャプテン』にありました」

 

 多村氏は、「甲子園に行きたくて」強豪・横浜高校へと進学する。

 

「横高は、まるで青葉学院のようでした(笑)。いろんな地区からエリート選手が入ってきて、入学当初は1年生だけで部員が100人もいて。僕は、グラウンドにすら入れなかった。道路で腹筋や背筋、ランニング。ボールを握ることすらなくて。そんな状況だったので、最終的に1年生の部員が30人になった。そのなかで、根性とか、精神面が養われていく。試合の大事な場面では、メンタルの強さが求められる。気持ちが入っていないと、持っている技術は出てこない。

 

 WBCでも、『キャプテン』の谷口のように怪我を恐れず、体がボロボロになっても勝つために全力を尽くす、という思いで選手全員が戦っていました。最近、『野球は根性論ではダメだ』という風潮があるけど、体は人の気持ちで動くもの。野球は『キャプテン』に学べ、です」
(週刊FLASH 2017年4月25日号)

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