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“北陸の速球王”星稜高校エース・小松辰雄が振り返るベスト8を懸けた天理戦…甲子園の“番狂わせ”ドラマ<中部編>
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.08.12 06:00 最終更新日:2022.08.12 06:00
その大会のときにだけ、鮮烈に輝く高校。念願の初勝利のあと、今では「強豪」に名を連ねる高校。甲子園では、しばしばそんな “ジャイアントキリング” が起こる。あなたの故郷の奇跡を追体験しよう。
◎<石川>星稜 3−2 天理・奈良/1976年3回戦
「それまでの石川県は野球発展途上国。天理(奈良)はすでに有名だったけど、星稜は1度甲子園に出ただけで無名に近かったし、俺にとっても初めての甲子園。でも、なんか負ける気はしなかった。スピードには自信があったしね」
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第58回大会を沸かせた星稜の2年生エース・小松辰雄さん。
中日ドラゴンズひと筋17年、球界屈指の速球派と呼ばれた小松さんの甲子園デビューは鮮烈だった。
初戦となる2回戦で日体荏原(東京)相手に2安打完封、13奪三振の快投を見せた小松さんは、続く3回戦で、ベスト8を懸けて強豪・天理と対戦。自らホームランも放った。
「1試合でも多くやりたかった。というのも、ふだんのキツい練習を思うと、少しでも長く甲子園にいたかったから(笑)」
星稜は石川県勢初のベスト4まで進出。4戦すべてに先発し、30奪三振を奪って “北陸の速球王” として全国に名を馳せた小松さんは、あの夏の意外な秘話を教えてくれた。
「あのころ、俺は緊張するとお腹が痛くなる体質でね。開会式でも、入場行進のときは冷や汗たらたらで……。無事、事なきを得たんだけど、俺だけグラウンドを走って出てるんだよ。で、そのままトイレに直行したのを覚えてるね(笑)」
◎<新潟>新発田農 3−1 広島商・広島/1981年1回戦
初回から終始押し気味に試合を進めていた広島商に対して、新発田農は6回までノーヒットに抑えられる苦しい展開。試合は9回に一気に動く。一番打者・小池の2度にわたる好走塁で1点を奪うと、その裏、広島商も追いつき延長戦へ。10回表、焦りの見える広島商の守備の乱れを突き逆転し、そのまま逃げ切った。広島商は1966年以来、15年ぶりに夏の甲子園1回戦での敗退となった。
◎<山梨>東海大甲府 4−3 高知商・高知/1982年2回戦
前年初出場の東海大甲府は、1回戦の境(鳥取)相手に甲子園初勝利。山梨県勢16年ぶりとなる勝利を飾ると、2回戦では、名門・高知商を相手に7回までリードを許すが、8回に先頭の花井の本塁打で追いつき、9回裏2死で160cm、55kgとチーム一の小兵・塚原が右翼線にサヨナラ打を放った。3回戦では荒木大輔(後にヤクルト)擁する早実(東京)に惜敗した。
◎<長野>上田松尾 3−1 平安・京都/1957年2回戦
長野県屈指の伝統を持つ進学校である上田松尾(現・上田)は、初戦(2回戦)で前年覇者の平安高(現・龍谷大平安)と激突。試合は、カーブを武器とする上田松尾・神津の好投もあり投手戦になるが、3−1で逃げ切った。捕手の倉島今朝徳は国鉄スワローズに入団したあと、ヤクルト球団代表やセ・リーグ理事長を務めている。同校の甲子園出場はこの年と1987年夏のみだ。
◎<富山>魚津 2−0 浪華商・大阪/1958年1回戦
魚津のエース村椿と強豪の浪華商(現・大体大浪商)の池上の投げ合いは4回表、魚津が相手捕手の牽制悪送球で先制し、6回表にはスクイズで追加点。浪華商は安打で出た走者が3度併殺に倒れる拙攻もあり、村椿を最後まで打ち崩せなかった。魚津は明治(東京)、桐生(群馬)を破って準々決勝まで勝ち進み、村椿は徳島商のエース板東英二(後に中日)と、高校野球史に残る延長18回引き分けの投手戦を演じた。
◎<福井>北陸 6−4 近大附・大阪/1992年2回戦
近大附は、1回戦を4安打で完封したエース森岡(後にロッテなど)を温存し、地方大会では4イニングしか投げていなかった奥野を先発させた。対する北陸は、初回に3点先制されるも4回に3連打で逆転。9回裏に追いつかれて突入した延長12回、福井大会で1度しかしなかったスクイズで勝ち越し。馬場正大監督が「選手たちが120%の力を発揮してくれた。信じられない」と語った劇的勝利を収めた。
◎<岐阜>岐阜短大付 6−1 箕島・和歌山/1970年2回戦
箕島はセンバツを優勝に導いたエース島本講平(後に南海など)を擁し、1回戦の北見柏陽(北海道)に完封勝利。対する岐阜短大付(現・岐阜第一)のエース湯口敏彦(後に巨人)も、島本と広陵の佐伯和司(後に広島など)と並んで「高校生三羽ガラス」と呼ばれた。試合は立ち上がりから制球に苦しむ島本を岐阜短大付がバント攻めで揺さぶり、5回に打者一巡の猛攻で攻略した。
◎<静岡>浜松工 4−2 鹿児島実・鹿児島/1997年1回戦
前年はセンバツ優勝、夏はベスト8の強豪・鹿児島実業を相手に、浜松工は6回までに2点を先制される苦しい展開。鹿児島実業の好左腕・杉内俊哉(後にソフトバンクなど)の内角への直球とカーブに苦しみ、迎えた7回。2点を追う浜松工は1死満塁から下位打線の連打で一挙4点を奪い、杉内を攻略。エース伊藤がその後を投げ切って0点に抑え、夏の甲子園初勝利を飾った。
◎<愛知>大府 6−4 明星・大阪/1964年1回戦
初出場の県立大府が、前年覇者の明星に挑んだ。3回、味方のエラーから1点を失い、さらにタイムリーで1失点。明星の2点リードで迎えた6回裏、大府が3点を奪って逆転すると、7回表に明星が追いつくシーソーゲーム。大府は8回裏に明星のピッチャーの代わりばなをとらえ、一挙3点を奪って試合を決定づけた。終始落ち着いたプレーの大府に対して、明星は王者の慢心があったか。
都道府県別に夏の甲子園の “番狂わせ試合” を選んでくれたのは、『高校野球100年史』(東京堂出版)の著書を持つ野球史研究家・森岡浩氏(61)だ。
「私が考えた選考基準は、(1)3回戦までで(2)過去50年以内の試合ということです。準決勝や決勝に勝ち進んでいる高校は十分に強くて、すでに “番狂わせ” とはいえませんからね。ですが、たとえば京都や高知などは、甲子園に出場できる高校が限られているうえに、たまに出てくる公立高校は、すぐ負けてしまうことが多いんです。そういった都道府県は、泣く泣く(1)と(2)、どちらかの基準を緩めました」
森岡氏の忘れられない “どんでん返し” 試合は、宇都宮学園×東海大相模だそう。異論は大歓迎。あなたの一番は?