スポーツスポーツ

村上宗隆 親友・西浦颯大が明かすシャイな素顔「彼女の存在は一回も聞いたことがない」

スポーツ 投稿日:2022.09.07 06:00FLASH編集部

村上宗隆 親友・西浦颯大が明かすシャイな素顔「彼女の存在は一回も聞いたことがない」

2019年10月、ともにみやざきフェニックス・リーグに参加した際にも、食事をしている

 

“村神様”こと、村上宗隆(22)の快進撃が止まらない!

 

 9月2日、打撃3部門でトップに立っている村上は、ついに史上最年少での50本塁打を達成。松中信彦氏以来、史上最年少での令和初の三冠王への期待が高まっている。

 

 村上が野球を始めたのは小学校4年生、地元熊本の「託麻南小野球クラブ」でのこと。ここで村上は、“史上最高のスイッチヒッター”と呼ばれた元オリックスの松永浩美氏(61)の薫陶を受けていた。

 

 

「現役時代から交流のあった元広島の今井譲二さんが熊本で野球塾をやっていて、『内角の打ち方を教えてほしい』と呼ばれたんです。そのなかの一人が村上だった。彼に教えたのは『内角はこういうふうに動かないと打てない』というような体の動かし方と、あとはかかとをちょっと意識させたくらいです」(松永氏)

 

 村上の飲み込みの早さは、松永氏に将来を嘱望されるに足るものだった。

 

「内角打ちを教えて間もない練習試合で、村上は3本塁打。しかも全方向に打ちました。ただ、僕らが重視するのは人間性です。いちばん伸びるのは、アドバイスを素直に聞き、失敗を人のせいにせず、自分ができなかったことを認めるコ。まだ小学生でしたが、これらすべてをしっかり理解していました」(同前)

 

 順調に成長した村上は、中学で『熊本東リトルシニア』で活躍。九州選抜として台湾遠征を経験した。そして、ここでの一人の同学年球児との出会いが、その後の村上の野球人生を変えた。『熊本北リトルシニア』に在籍していた西浦颯大(はやと)氏(23)だ。

 

“ライバル”として切磋琢磨したころを、西浦氏が懐かしむ。

 

「何度も試合をしていましたから、『東』にもいい打者がいることは知っていました。とはいえ、体も大きく長距離打者でしたが、たいしてすごいとは思わなかった。中学までは僕のほうがすごかったですから(笑)。ただ、高校に入ると彼はすごく伸びて、ドラフト近くになったときは、もう“バケモノ”でしたね」

 

 2018年には村上がヤクルトに、西浦氏がオリックスに入団。その後も交流は続いたという。

 

「連絡はしょっちゅう取り合っていましたし、キャンプ地が同じ宮崎県だったので、よく食事にも行きました。あんなに体がデカいのに、たいして食わないし、お酒もほとんど飲まない。野球について話し込むこともなくて、気心の知れた仲ですね。女性に関しては、じつは1回もアイツから彼女の存在を聞いたことがないんですよ。僕にさえ隠してきたんでしょうね(笑)」

 

 ともに期待されて迎えた3年めに、西浦氏を思わぬ事態が襲う。両側特発性大腿骨頭壊死症であることが判明したのだ。たび重なる手術と懸命なリハビリをおこなったが、昨年9月に引退を発表した。

 

「病気を公にしたときもすぐに連絡をくれたんですが、『颯大、元気?』とわざと軽い感じで言ってきてくれた。引退を発表したときも同じ調子で、『大丈夫? なんかあったらいつでも言ってきてな』と。ちょうど日本シリーズ前だったので、『絶対優勝しろよ!』とLINEを送ったら、『おう、まかせとけ』と。ただ『(山本)由伸さんは打てんわ』と返信がありました(笑)」

 

 引退後はYouTuberに転身した西浦氏だが、村上の動向は追い続けている。

 

「アイツ、野球の進化は当然として、性格も変わったと思うんです。初めて同じチームになった中学時代の台湾遠征のときはシャイで、自分から前に出るタイプじゃなかった。それが今では、ベンチにいても常に前で大声を出しているし、昨年は相手チームに噛みついてさえいましたからね。絶対に無理してると思いますよ(笑)。近ごろは『メジャーに行ってみたい』と真顔で話していましたが、今のアイツならやれるんじゃないかな」

( 週刊FLASH 2022年9月20日号 )

続きを見る

スポーツ一覧をもっと見る

スポーツ 一覧を見る

今、あなたにおすすめの記事