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広島新監督・新井貴浩「人間力はすごかった」が「プレーは“センス0”」恩師・同級生が本誌に明かした“原点”

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.07 18:20 最終更新日:2022.10.07 18:23

広島新監督・新井貴浩「人間力はすごかった」が「プレーは“センス0”」恩師・同級生が本誌に明かした“原点”

選手時代の新井(本誌写真部)

 

 広島の来季監督に、OBの新井貴浩が就任することが発表された。新井は、1998年にドラフト6位で広島東洋カープに入団。2005年に本塁打王を獲得し、2016年には通算47人目となる2000本安打を達成した。

 

 華々しい経歴を持つ新井だが、そこには“原点時代”に培った努力があったという。本誌は2011年、新井の原点を発掘していた。

 

 

 新井の基礎を作った県立広島工業高野球部元監督の宮川昭正先生が語る。

 

「僕は彼が1年の春から、『3年になったら主将にしよう』と決めていた。指導者が見ていないところで手を抜く選手はいますが、彼はそんなことは関係なくつねに全力。例えば『100本ダッシュしろ』って言うと、新井は100本とも全部手を抜かずに走るような男でした。3年時には、試合中にタイムをかけて内野手が投手の周りに集まったとき、彼はレフトなのにいつの間にか輪の中にいたなんてこともありましたね」

 

一方で、野球の実力はというと意外な証言が飛び出した。

 

「投手として入ってきたけど、くにゃくにゃした投げ方でストライクが入らない。第一印象で投手は無理だなと。また、すごく打ったという記憶もない。当時は、彼がプロ野球選手になるなんて誰も予想できなかった。ただ、大柄なわりには機敏だったので、名門サッカー部の監督が『GKでサンフレッチェ広島に入れる』って言われてたよ(笑)」(宮川先生)

 

 同級生で、いまも家族ぐるみの付き合いが続く、県立広島工野球部副将だった小玉真寬さんも同様の印象を持つ。

 

「最初は、とてつもなく体が大きいんで『こいつはすごいんじゃないか』と。ところがキャッチボールを見た瞬間『あれ?』って『お前、野球しとったんか!?』って、ほんまビックリしました。走り方もドンくさいし、打撃も正直打てる感じがなかった。

 

 でも下手だからって、遠慮したり萎えたりすることもなかった。ある意味、素敵な勘違いっていうか(笑)。ただ、新井は間違いなく誰よりも努力してた。そういう姿を見てたから、こいつが言うことなら聞こうって、みんな思ってましたね。人間力がすごかった」

 

 卒業後は駒大に進むが、「本人の希望で進学させましたけど、野球の技術面ではなく人間性を見込んでのことでした。彼なら選手として活躍できなくても、マネージャーとしてでもやり抜くだろうと。真面目なだけでなく、人を引きつける力というか、そういうオーラは持っていたと思います」と宮川先生が語るように、この時点ではまだ、球界を代表するスラッガー像をダブらせることはできなかった。

 

 駒大時代の通算本塁打は2本。それでドラフトもなんとか6位で広島に潜り込んだ。

 

「いくら6位とはいえこの成績ですから、契約金を“払って”入ったと揶揄されたぐらい。野村謙二郎(現広島監督)の大学の後輩だったことから『コネ入団』などと、金本によくイジられていた。でも彼はほかの選手よりも実力が劣っていることを自覚していて、練習も人一倍こなしていた。そうした姿に、周りには先輩後輩問わず、自然と人の輪ができていました」(スポーツ紙デスク)

 

 新井がいまでも野球の師と仰ぐ、駒大野球部元監督の太田誠さんも称賛を惜しまない。

 

「とにかく実直で逃げも隠れもしない。僕が怒鳴りつけても真正面から聞いて素直に受け入れる。信念や信頼という意味での『信』の心を持った男なんだ。僕は教え子たちに『球の心は正直もの』と言いつづけてきた。球は正直で、なんでもお見通し。まっとうな生き方をしない者に野球は味方しない」

 

 新監督の抜擢の裏には、新井の野球観だけでなく、人間性の評価もあったと報じられている。彼のなかにある「信」の心は、大選手になる遥か前から持ち続けていたもののようだ。

( SmartFLASH )

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