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ダルビッシュ熱投も惜敗…パドレス快進撃の立役者は今も昔も “日本球界” 経験者
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.10.19 14:58 最終更新日:2022.10.19 15:00
2022年のMLBもいよいよ大詰めだが、日本人選手でポストシーズンを戦う権利を得たのはダルビッシュ有投手のみ。
所属するサンディエゴ・パドレスは地区2位、リーグ全体5位での進出だったが、全体4位のニューヨーク・メッツをワイルドカードで破り、全体1位で盤石と思われたドジャースもディビジョンシリーズで撃破。快進撃を見せている。
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今季のパドレスはダルビッシュ投手以外にもNPB経験者が多く、日本のファンからも注目されている。
ソフトバンク、阪神で活躍し、セーブ王2回のロベルト・スアレス投手、日本ハムとソフトバンクで3年間を過ごし、おもに先発として活躍したニック・マルティネス投手、そして2019年に阪神で40ホールドを記録したピアース・ジョンソン投手の3人である。
いずれもリリーバーを務め、当代きっての奪三振マシーンであるクローザー、ジョシュ・ヘイダー投手(不振といわれた今季も50イニングで81三振)につなぐ盤石のブルペンを構成している。
パドレスがリーグ優勝決定シリーズ(NLCS)に進出するのは1998年以来、じつに24年ぶり。1998年はNLCSで投手王国といわれたアトランタ・ブレーブスを破るも、ワールドシリーズ(WS)では、ニューヨーク・ヤンキースに0勝4敗で敗れた。2022年のパドレスはどこまで勝ち進めるだろうか。
さて、その1998年のパドレスがどのようなチームだったのかというと、こちらにもNPB経験のある懐かしい名前がいくつか見られる。ただし、彼らはいずれも1998年シーズンの後に、日本へ渡った選手たちだった。
25歳のマーク・クルーン投手はこの年、パドレスで2試合に登板している。シーズン途中で、シンシナティ・レッズに移籍した。1998年のパドレスでは2回1/3を無失点だったが、前年もパドレスで11回1/3に登板し、防御率は6.35。
もっとも奪三振は12で、後年の活躍の片鱗は見せていた。2008年に、巨人で41セーブを挙げてセーブ王に輝くなど、NPB6年間で177セーブを挙げた。
26歳だったジョージ・アリアス選手も、1998年はパドレスでプレーした。20試合出場で1本塁打、打率.194。この年のポストシーズンもロスター(ベンチ)入りしており、NLDSで1打席1三振という記録が残っている。期待の長距離砲はNPBで開花。オリックス、阪神、巨人でプレイし、6年間で161本塁打を放った。
アーキー・シーアンフロッコ選手は1998年、パドレスでの6シーズンめを過ごした。40試合に出場して80打席に立ち、打率.125、本塁打1。この年は一塁、二塁、三塁、右翼を守り、これが自身最後のMLBシーズンとなった。MLB7年間で34本塁打を記録している。1999年に西武ライオンズに加入するが、15試合の出場にとどまり、打率.163、本塁打はわずか2本だった。
アンディ・シーツ選手はこの年、パドレスではユーティリティ・プレイヤーとして内野の全ポジションを守った。
88試合、7本塁打はいずれもメジャーでのキャリアハイ。ポストシーズンでもロスターに入りNLDS、NLCS、WSのいずれにも出場している。合計7試合で5度打席に立ち、残念ながら安打はなかった。
ユーティリティといってもMLBでの本職はショートで、広島時代のイメージと重なる。NPB5年間の通算打率は.289で3割も2度達成するなど巧打が光った。
後にNPBへ移籍した選手のなかで、1998年のパドレスでもっとも活躍したのはダン・ミセリ投手だろう。チーム最多の67試合に登板して10勝5敗2セーブ、防御率3.22という好成績で、MLB歴代2位の601セーブを挙げた絶対的クローザーであるトレバー・ホフマン選手につなぐ役割を果たした。ポストシーズンでも合計8試合、5回2/3に登板。ヤンキースとのWSでは2試合、1回2/3で無失点と活躍した。
もう17年も前のことだが、NPBでのミセリ選手を覚えているファンも多いだろう。
2005年シーズンに巨人に加入。4試合に登板して2回2/3を投げ3本の本塁打を打たれた。「リトルリーグのような球場」と不満を口にしたうえに右肩痛も訴え、4月中に解雇になってしまった。解雇された後、浅草を観光していたこともニュースになった。
しかしその後は、前年までのメジャーでの実績を買われて、すぐにコロラド・ロッキーズと契約。この年はMLBで19試合に登板し、2006年もタンパベイ・デビルレイズ(現レイズ)で、33試合に登板した。
私は2002年シーズンに伊良部秀輝選手の通訳としてテキサス・レンジャースに在籍していたのだが、この年、ミセリ投手もレンジャースに在籍していた。
キャンプ中、伊良部選手は先発5番手かロングリリーフを争う立場だったので、リリーバーのミセリ選手とも接点が多かった。特別にフレンドリーだったという印象もないが、話しかければきちんと対応してくれていたし、悪い印象は持っていない。
ただ、4月のある試合で延長戦になり、ミセリ選手が急遽登板し、打たれて負け投手になるということがあった。
試合後に本人が「ブルペンで待機していたらいきなり準備しろと言われて、2~3球投げたら行けと言われた」という趣旨のことを語っていた。そのときはそのような起用法をされて気の毒だと思ったのだが、いま思えば後の巨人での振る舞いに通じるものがあったのかもしれない。
結局、レンジャースでは9試合に登板しただけで5月6日に解雇になっている。
文・小島一貴(元MLB通訳)
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