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村田兆治さん死去で雄姿を懐かしむ声「衝撃の豪速球」「初めてみたプロ野球」…SNSでは「川崎球場」がトレンド入り

スポーツ 投稿日:2022.11.11 14:30FLASH編集部

村田兆治さん死去で雄姿を懐かしむ声「衝撃の豪速球」「初めてみたプロ野球」…SNSでは「川崎球場」がトレンド入り

村田兆治さんの始球式(2014年、写真:アフロ)

 

 11月11日早朝、元プロ野球選手村田兆治さんが亡くなった。享年72。豪快なマサカリ投法で、速球とフォークボールを武器に通算215勝。2005年には野球殿堂入りしている。

 

 多くのファンが思い起こしたのは、ロッテ・オリオンズの本拠地だった川崎球場のマウンドに立つ村田さんの姿だ。11日、Twitterでは「川崎球場」がトレンド入りした。

 

 

 SNSには、

 

《ただ悲しい、、沈みゆく西日を受けて、川崎球場のマウンドで黙々と投げる村田兆治投手。あれは一枚の素晴らしい「絵画」だったように思います。どうか安らかに》

 

《子供の頃よく川崎球場に通った。ブルペンが観客席前だったので、金網にへばりついて村田兆治の投球を見た。投球がミットにおさまる度に、金網が衝撃で震えるのに驚いた》

 

《野球観戦が好きになったきっかけを作ってくれた選手です。客のいない川崎球場で村田兆治さんと、野茂英雄さんの投げ合いを観て、そこからずっとワクワクしながら野球を観れています》

 

《その昔、川崎球場の南海ホークス戦(ダブルヘッダー)で投球を見て衝撃を受けました。豪快なフォームから放たれた白球は、あっという間に捕手のミットに… 初めて本物の豪速球を見ました。あれを超える豪速球はなかなか出ないだろうなあ》

 

《小さい頃亡くなったおじいちゃんに初めてプロ野球見に川崎球場連れてってもらって放ってたのが村田兆治だったから思い出深いのよ…》

 

 と、故人を偲ぶ声が並んでいる。

 

 村田さんは1990年に40歳で引退。翌1991年を最後に、ロッテは本拠地を川崎から千葉に移している。その後、川崎球場は2000年にスタンド部分が解体されたものの、野球以外にもアメフトやプロレスなど、現在もさまざまに利用されている。

 

 生前、村田さんは川崎球場について、「汚い、ヤジがキツい、危険の『3K球場』だった。ロッカールームは湿度が高く、グラブにカビが生えるから持ち帰っていた。ただ、狭いからこそ1球も気を抜けない。投手としての能力を磨いてくれた球場」と語っている。

 

 現在「富士通スタジアム川崎」となった川崎球場は公式Twitterを更新。

 

《富士通スタジアム川崎の前身「川崎球場」で数々の名シーンを残された村田兆治さんがご逝去されました。謹んでご冥福をお祈り申し上げます》

 

 スタジアムには追悼献花台が設けられる。

( SmartFLASH )

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