11月11日早朝、元プロ野球選手・村田兆治さんが亡くなった。享年72。
成城署の発表によると、東京都世田谷区の住宅街で、村田さん方から出火、木造2階建て住宅の2階部分約40平方メートルが焼けたという。
室内から村田さんが救助されたが、搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。村田さんは一人暮らしで、目立った外傷はなく、一酸化炭素中毒の可能性が高い。読売新聞によると、村田さんは消防隊に発見された際、たばこを手に持っていたという。
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豪快なマサカリ投法で、速球とフォークボールを武器に通算215勝。2005年に野球殿堂入りした村田さんは、文字どおり昭和の野球界で一時代を築いた人物だ。
「多くのファンが思い起こしたのは、ロッテ・オリオンズの本拠地だった川崎球場のマウンドに立つ村田さんの姿でしょう。11日、Twitterでは『川崎球場』がトレンド入りしました。
その一方、ツイッターでは『亡くなり方』というワードもトレンド入り。その “悲しすぎる最期” に、10月に亡くなった仲本工事さんを思い起こす人も多いようでした」(週刊誌記者)
ザ・ドリフターズのメンバーとして、昭和のコメディーを牽引してきた仲本さんは、10月19日に事故死。亡くなる直前には、27歳年下の妻である純歌との関係について、さまざまな報道が相次いでいた。
「2012年、純歌さんと3度めの結婚をした仲本さんですが、事故直前の『デイリー新潮』では、2021年に純歌さんが突然家を出ていき、置き去りにされた仲本さんはゴミ屋敷で暮らしていたと報じられました。仲本さんは、直撃に対し不仲を否定していましたが、それから1週間もたたないうちに、事故で亡くなってしまいました」(同)
ネット上では、昭和のスターたちの最期に、動揺する声が多く寄せられている。
《村田兆治さんの亡くなり方 なんか仲本工事さんに似てるね…》
《火事だなんてほんとにやるせない。仲本工事の嫁さんとのあれこれの記事が出たあとの事故と同じやるせなさ》
《どんなに輝かしい人生を歩んできても、人生の最後がこんな形ではあまりにも悲しい》
( SmartFLASH )