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村田兆治さん、離島で知った「社会への恩返し」自ら言い聞かせた言葉は「人生先発完投」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2022.11.11 21:12 最終更新日:2022.11.11 21:28
11月11日に亡くなった元プロ野球選手の村田兆治さん。40歳で引退した後も、長く “剛腕” を維持し続けたことは有名だ。そんな村田さんに「アンチ・エイジングな生き方」を聞いたインタビューが、スポーツ誌『VS.(バーサス)』2005年2月号に掲載されている。そこからみえる、村田さんの生き様とは――。
インタビュー当時、村田さんは55歳。マスターズリーグで “マサカリ投法” を披露、140キロを超える剛速球で東京ドームに集まったファンの度肝を抜いたばかりだった。
「(マスターズリーグの)シーズンで1度も140キロが出なかったら、もう2度とマウンドには立たないと公言しているんだ。そのために特別なトレーニングをしているわけじゃない。ただ、ふだんから基本的なトレーニングは怠らないようにはしているけどね」
ストレートは現役最盛期で「155キロは出ていた」と自ら言う。スピードガンの登場は村田さんの現役の終盤になってからだ。張本勲は、村田さんと対戦するとき、ひそかにユニホームの下にサポーターを巻いていたという。
「トレーニングといったって、毎日ジムに通うわけでもない。毎日の生活のなかでできることなんていくらでもあるんだから。たとえば、階段を使ったり……ほら、この椅子を使ったってできるんだ。それを毎日続けてみればいいじゃないか。僕はゴルフに行ったらカートには乗らないよ。少しくらいなら走っちゃうからね」
撮影のため上半身裸になってもらうと、意外なほど筋肉はついていない。
「ストレッチは毎日やる。野球選手に必要なのは柔軟性。ゴルファーだって同じだよね。野球選手に上体の筋肉はそれほど必要ないんだ。僕だって野球をやってなかったら、もっと腕を太くしてね、がっちりした体にしたいと思っただろうね。カッコいいじゃない(笑)」
33歳で肘にメスを入れた。すでに156勝をあげ、引退の二文字が頭をよぎった。山籠もりし、滝に打たれ、悩んだあげく、決断した。
当時の日本の常識は「投手が利き腕を手術したらおしまい」。大谷翔平やダルビッシュ有も受け、いまでこそ常識となった「トミー・ジョン手術」だが、日本人で受けたのは、村田さんが最初だった。
「自分がこの仕事をなくしてしまったら、ほかには何もできない。投げられないなら死んだも同じ。そういう強い思いがあったからこそ踏み切った」
手術後は、気の遠くなるようなリハビリの日々が続いた。
「生まれたばかりの赤ん坊だって握れるスポンジが、最初は握れない。焦ってやり過ぎると、今度はヒジが腫れあがってくる。『失敗した』と思って落ち込む。
でも、そういう自分に言い聞かせるんだ。『お前、自分でやろうと決めたんじゃないのか』と。そういうことの繰り返しだったね」
1984年8月、マウンドに復帰。1985年には開幕11連勝し、17勝をあげた。
「“復帰” しようなんて思わなかった。気持ちのなかには “復活” という言葉しかなかった。ただ投げるだけじゃだめなんだ。これが村田兆治なんだという投球を見せられなければ、意味がないと思った」
( SmartFLASH )