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平野美宇「小3でひとり出稽古の日々」を母が語った

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2017.06.21 16:00 最終更新日:2017.06.21 17:40

平野美宇「小3でひとり出稽古の日々」を母が語った

『長田洋平/アフロスポーツ』

 

「娘をオリンピック選手に育てようと思って、卓球教室を始めたわけじゃないんです。棚からぼたもちみたいな話」

 

 こう笑うのは、いま注目を集める卓球の平野美宇(17)の母親・真理子さん(48)。

 

 14年前、山梨県内で卓球教室を開設。教師として障がいのある子供たちと過ごした真理子さんの夢は、障がいのある人もない人も分け隔てなく暮らせる社会を作ることだった。

 

「卓球をさせようなんて、まったく考えてなかった。3歳のときに『ママの卓球教室に入れて』と泣いて頼んできたのがきっかけ。5歳のとき、負けると泣く美宇の姿が“愛ちゃん二世”と報道されて有名になってしまって。その虚像に将来苦しまないよう、一度でいいから優勝させてあげたいと思った。でも、当時の夢は『キティ屋さん』。

 

 それなのに『負けたくない、勝ちたい。どうしたら強くなれるの~』って胃液を吐くまで泣く(笑)。親心としては、そこまで言うなら強くなれるように頑張らせたほうがいいのかなって思いますよね。でも、私の自己満足なんじゃないかと悩んで、毎日が葛藤でした」

 

 2年間の猛特訓が実り、小学1年時に全日本バンビの部(小学2年生以下)で優勝。真理子さんは、メディアに“決別宣言”をする予定だった。

 

「これからは、娘の夢の『キティ屋さん』になれるように手助けをします。“愛ちゃん二世”とは、ひと区切りですって言うつもりでした。ところが美宇が、『夢はオリンピックで金メダル』って言うから、ええ~って感じでした」

 

 美宇の夢が変わったこの日から、美人母・真理子さんと娘の夢を追う二人三脚が始まる。

 

「練習ばかりさせて鬼だと言われましたが、美宇の夢をかなえるためと覚悟を決めたら、気にならなくなりました。小学3年からは、中国人のコーチを頼んで月に4日練習を見てもらい、休みの日には一人で東京の東京富士大学と大阪のミキハウスに練習に通わせました。結果的に、一人で中国のスーパーリーグなどに飛び込んでいっても怖くないっていう自信に繫がったんだと思います。

 

 電話をかけてきたのは、ミキハウスに行った初日だけ。『ママ、いま昼休み』って。それが最初で最後(笑)。『帰りたい』なんて、泣き言を言ってきたことは一度もないです」

 

 世界選手権では、強敵の中国勢もアジア女王の平野を倒しに挑んでくる。

 

「本来は負けず嫌いで、努力を絶やさない子。だけど、ちょっと性格的に控えめな部分があって。それがリオ五輪に落選し、リザーブに回って球拾いなどをしたことで、悔しさが一気に弾けた。今まで隠れていた強気な部分が表に出てきて、勝ち気な発言が増えた気がします。

 

『石川佳純さんに勝てると思います』なんて発言、以前は考えられなかった。いまの美宇は、プレッシャーに押し潰されたり、心が折れることはない。ちゃんと自分の力を出し切ってくれると思います」

 

(週刊FLASH 2017年6月13日号)

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