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八村塁 全米がフィーバーのNBAスターが抱く地元愛“おなちゅう仲間”は「会った瞬間、まったく変わってなくて」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.05.22 06:00 最終更新日:2023.05.22 06:00
日本人のNBAプレーヤーとして初めて、プレーオフの西カンファレンス決勝(7回戦制)に進出した、レイカーズの八村塁(25)。第2戦ではアリウープあり、3Pシュートありと、21得点の大活躍を見せるなど、目の肥えた地元ファンを熱狂させた。
八村は2019年6月のドラフトで、日本人初となる1順め9位指名を受け、ウィザーズに入団。その後、チームの中心として活躍したが、思わぬ落とし穴が待っていた。3年めの2021~2022シーズンは、メンタル面の不調から個人練習を続け、開幕には間に合わなかった。その影響からか、2022~2023シーズン中盤にレイカーズへトレード移籍する。
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このとき、レイカーズはプレーオフに進めるか否かの瀬戸際で、けっしていいチーム状態ではなかった。地元・ロサンゼルスのファンは、八村に「救世主」としての役割を求めたが、八村は得点、アシストなどの数字面で、期待に沿う記録を残せずにいた。
そんなとき、八村を救ったのが、NBAの顔である“キング”ことレブロン・ジェームズの言葉だったという。
「八村は加入後、活躍の波が大きく、3月31日のティンバーウルブス戦では4得点に終わりました。この試合をきっかけに、現地メディアは批判的な論調を繰り広げたんです。そんなとき“キング”は、メディアを通じて『(同試合で)ルイは得点以外、6リバウンド、1アシスト、1ブロックなど、数字に表われないプレーで貢献した。今夜の試合では、チームにとって巨大な存在だった』と、熱いメッセージを贈ったのです。吹っ切れた八村は大活躍を続け、シーズンでは7位だったチームを、プレーオフのカンファレンス決勝まで導いたのです」(現地記者)
いまや世界最高峰のリーグで活躍する八村が、バスケットボールを始めたのは、富山市立奥田中学校に入ってからだった。バスケ部で同期だったAさんが振り返る。
「1年生のとき、塁がまだ部活を決めていないと知ったコーチから『誘ってこい』と言われたんです。僕はクラスが一緒だったので、『バスケしよう』『練習見に行こうよ』『コーチが呼んでるよ』と、ずっと誘っていました。塁にしてみれば、練習を見に行きさえすれば僕らのしつこい勧誘もなくなるだろう、くらいの感じで、来てくれたんですけどね(笑)」
バスケはズブの素人だったが、小学校時代はそのずば抜けた身体能力で、捕手さえ取れない豪速球を投げ込む野球少年だった八村。無論、バスケで頭角を現わすのに時間はかからなかった。
「強烈に覚えているのが、北信越大会につながる大会があったとき。1年生チーム対2年生チームで、勝ったほうがメンバーに入れるという部内の試合がありました。その試合の終了間際に塁がファウルをもらって、2本シュートを決めれば勝てるという状況で、2本とも決めたんです。ルールもわからないし、シュートフォームもまだ素人の塁がですよ」(前出・Aさん)
一方で、こんなお茶目な側面もあったという。
「遠征のときに、僕はポイフルとみかんのゼリーを持って行き、塁に『ひと口ちょうだい』と言われてあげると、半分くらいになって戻ってきて。それが続いたので、複数持っていくか、大きいサイズのものを持っていくようになりました(笑)」(同前)
後輩にとっては、やはりあこがれの存在だったようだ。
「ふだんは明るいムードメーカーですが、練習中にふざけていると、しかられることもありましたね。当時、NBAの選手の話をしているときに、僕らは『こんな選手にはなれない』とか言っていたんですけど、塁さんは『こんな選手になる』と。やっぱり、周囲とはレベルが違いましたね」(後輩のBさん)
富山から、一躍、全米スターへと駆け上がった八村だが、帰省の際はc時代のチームメイトと集まるなど、いまだ“地元愛”は強いという。
前出の同期・Aさんが話す。
「2022年、NBAのジャパンゲームズで日本に帰ってきたときも、連絡を取りました」
大スターになっても、ひとたび顔を合わせれば、昔のままの大親友。前出のBさんも言う。
「NBA選手としての塁さんと初めて会うとき、みんな少し緊張してたんですけど、会った瞬間、まったく変わってなくて、中学時代のときのように話してました。試合で帰省していたのでわずか5分ほどでしたが、一同、感激に浸りました」
8月25日から、バスケットボールW杯が開催される。全米を驚かせた八村が、ジャパンを牽引する。