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新大関・豊昇龍「叔父さんと比べられるのは好きじゃない!」綱取りへ“最後のライバル”は朝青龍”
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2023.09.13 14:28 最終更新日:2023.09.13 15:01
9月10日に初日を迎えた大相撲九月場所。注目は新大関、豊昇龍(24)だ。七月場所で、初優勝と大関昇進を同時に掴み取った。新大関として迎える場所を目前にし、部屋で稽古に励む豊昇龍に話を聞いた。
「九月場所はできるだけ大勝ちしたい。お客さんたちに喜んでもらえるような、いい相撲を取りたいと思っている。優勝? それは言わない。まずは勝ち越し、二桁です」
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格闘技一家に生まれ、5歳で柔道、11歳からレスリングを始めた。15歳でレスリング選手としてスカウトされ、故郷のモンゴルから千葉県にある柏日体高校(現・日体大柏高校)に留学。相撲の経験はなかったが、両国国技館で大相撲を見学したことで、相撲に興味を持ち、レスリングから転向した。当時について以前、本誌にこう語っている。
「レスリングをやるために日本に来たんです。叔父さん(元横綱・朝青龍)は『相撲をやればいいじゃないか!』と言ってたんですけど、自分は体が大きいわけじゃないし、あんなデカくて怖い人ばっかりいる相撲なんか、絶対やりたくないと思っていたんです。
でも、授業で国技館に大相撲を観に行って、感動しちゃったんです。遠藤関の技のすごさとか、日馬富士関がものすごいスピードで大きな体の力士を倒したり。もう相撲をやるしかないと思って。叔父さんに電話したら『だから言ったじゃないか!』って怒られました。それでも、叔父さんが世話をしてくれて、相撲部に入ることができたんです」
相撲部に入部したときの体重は66キロ。ご飯を食べては吐くの繰り返しで体を大きくし、体重が100キロを超えた高校3年時には、インターハイ個人戦で準優勝の成績を残し、角界入り。スピード出世で、大関の座を手に入れた。
豊昇龍の最大の武器。それは類いまれなる運動神経のよさといっていいだろう。柔道やレスリングで培った動きで相手を翻弄。豪快な投げを打ったかと思えば、足技も飛び出す。離れての突き押しも強い。まさに「万能型」。本人にとって「理想の相撲」とは?
「ないんですよ。自分は『型』がない相撲。『型』を作らない力士だと思っている。よく『大関や横綱になったら、型がないといけない』と言われるんですけど、『型』がないのが自分の『型』。このままやっていくつもりです」
夏巡業では、八角理事長(元横綱・北勝海)から大関・霧島とともに呼ばれ「1年以内に横綱へ上がるように」と、ハッパをかけられた。
「もちろん、目標はもうひとつ上(横綱)。そのためにこの世界に入って頑張っている。ただ、どれだけ強くても横綱に上がれない人もいる。とにかく、自分の相撲を取り切るだけだと思っている」
叔父の朝青龍は、大関を三場所で通過、横綱に駆け上がった。だが、その話をした途端、豊昇龍の表情が曇った。
「そういうのはやめてほしいんですよ。そういうことを言われるのはあまり好きじゃない。(自分と叔父は)別の人間ですから。同じようにいくわけがないじゃないですか」
以前のインタビューでも
「朝青龍の甥と言われるのが嫌なときもありますよ。あれだけすごい人と、甥ということで比べられるのは違うんじゃないかと思うんですよ」
と話していた豊昇龍。尊敬する存在とはいえ、あくまで「自分は自分」。
その叔父さんは大関昇進が決まった7月26日、自身のX(旧ツイッター)で「新大関誕生 おめでとう さー豊昇龍よこれから本番!!」と甥を祝福、激励している。
モンゴル出身の大関は、豊昇龍で7人め。そのうち5人が、横綱に上り詰めている。いやがうえにも、期待は高まる――。
豊昇龍智勝(ほうしょうりゅうともかつ)
1999年5月22日生まれ モンゴル・ウランバートル出身 本名はスガラクチャー・ビャンバスレン。立浪部屋所属。187cm140キロ。2018年一月場所で初土俵。朝青龍は父の弟にあたる
写真・舛元清香 コーディネート・金本光弘