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稀勢の里「亡き師匠」の母と妻がドロ沼「遺品裁判」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2017.09.11 16:00 最終更新日:2017.09.11 16:00
休場を決めた稀勢の里の周辺がすっきりしない。
「裁判が継続中なので、何もお話しできないんですよ。申し訳ありません」
本誌記者の訪問に、困惑気味に応える小柄な女性。青森県の旧浪岡町(現青森市)に住む元鳴戸親方(元横綱・隆の里)の母親だ。鳴戸親方は稀勢の里の先代親方である。
裁判とは、2011年に死去した鳴戸親方の妻子が、遺品の引き渡しを求めて起こした訴訟のこと。遺品は、鳴戸親方が現役時代に使用した化粧まわしや写真パネルなど計59点で、現在は青森の実家で保管されている。
「新聞に出ているとおりです。突然裁判になってこっちが驚いています」
2017年4月の東奥日報によれば、妻は松戸の旧鳴戸部屋での遺品展示を希望しており、その所有権を主張し、千葉地裁に提訴。裁判は青森地裁に移送され、3月に第1回口頭弁論がおこなわれた。そこで母親側は、請求棄却を求める答弁書を提出したという。
「(息子は)記念品を故郷で応援していただいたファンに見せることを望んでいました。裁判沙汰は不本意です」
その後、裁判は進展せず、弁護士からの連絡を待っている状態だという。
2016年、鳴戸親方の企画展を開催した地元施設関係者も表情を曇らせる。
「お母様からは遺品を無償で貸し出していただきました。こちらには奥さんから連絡はありません。地元では鳴戸親方の記念館を作る話も出ています」
鳴戸親方周辺のトラブルはこれが初めてではない。
「鳴戸親方は2011年11月、弟子への暴行疑惑のさなかに59歳で急死。鳴戸部屋は元幕内・隆の鶴(現田子ノ浦親方)が継承したものの、それ以降も実権はおかみさん(未亡人)が握ったままで、お金もすべて押さえられ、隆の鶴は困り果てていたのです」(相撲記者)
そして2013年12月に事件が起きる。隆の鶴が稀勢の里らすべての弟子を連れて松戸の部屋から移転し、鳴戸部屋が消滅する事態となったのだ。
「当時、相撲協会はすべての年寄名跡書の提出を求めていたが、おかみさんから鳴戸名跡を借りていた隆の鶴は提出できなかった。名跡を譲ってくれるよう頼んだ隆の鶴に、おかみさんは法外な額を要求したといいます。そこで隆の鶴は、苦肉の策として空いていた田子ノ浦の名跡を取得し、おかみさんとの縁を切ったのです」(前出記者)
それから3年。稀勢の里と高安が2017年揃って昇進した田子ノ浦部屋だが、裏ではこんな苦労があったわけだ。
「直接関係はないとはいえ、稀勢も人づてに聞いている。先代を慕う気持ちは今でも強いだけに、裁判の行方は気になっているはず」(相撲関係者)
本誌は松戸の旧鳴戸部屋を訪ねたが、遺族が取材に応じることはなかった。
(週刊FLASH 2017年9月5日号)