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大相撲「行司」の仕事はバスの手配から礼状書きまで
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2017.11.11 11:00 最終更新日:2017.11.11 11:00
「相撲の主役はあくまで力士で、行司は自分が闘うわけではないですよね。どこにやり甲斐があるものなんでしょうか」
「やはり長く勤めるわけなので。相撲の流れ、その移り変わりを見られるのは嬉しいです」
言葉には重みがあった。行司は65歳の定年制だ。中学卒業と同時にこの世界に飛び込んだ勘九郎さんは、50年ほど働くことになる。平均引退年齢が20代後半から30代くらいといわれる力士と比べると、関わっている時間はとても長い。
「朝青龍さんの一番を私、やったことがあるんですよ。確か序二段の頃ですかね。勝ちっぱなしの全勝でやってきて、相星同士の決戦でした。凄かったですよ、何もかもが違うんです。彼は不利な体勢になっても、自分の有利な形に持っていってしまうんですよね。それが可能な器用さ、スピード。この人すぐ大関に上がるな、と思いました」
後に横綱になる力士。夢破れ、消えてい力士。ケガをしながらもどうしても一勝が欲しくて、必死に土俵に臨む力士。さまざまな力士の戦いは、やがて歴史となっていく。そこに立ち会い、見届けることができるのが喜びだという。
「そもそも私、行司になれたのもほとんど運命のようなところがあるんです」
もともと相撲は大好きだったそうだが、中学生の頃、第27代木村庄之助の行司定年インタビューを見た。「いい一生でした」とのひと言とその表情に感動し、行司を目指したという。
「でも、当時は定員がいっぱいだったんですね」
行司の世界は完全な年功序列。力士同様に位があるのだが、勝ち星で昇格できる力士とは異なり、行司は上の人が抜けることでしか昇格しないし、下から新しい人が入れない。
「次に定年で人が抜けるのが、7年後とかだったんですよ。でも、行司の採用規定には、19歳未満という年齢制限がある。待っていたら絶対に無理。それでも諦めたくなくて。先生には大反対されて、高校を受けるように言われたんですが、『受けてその先、何をするんですか』と言い返しました。もう念ずればかなう、それしかない、そんな心境でしたね」
そして奇跡は起きた。
たまたま相撲協会が若手の行司を確保したいということで、臨時増員枠が5名分できたのだという。おかげで勘九郎さんは行司になることができたのだ。
「で、1年後かな、その制度はなくなってしまったんです。そのときだけ、たまたま私に扉が開いていたんですね。楽なことばかりではないので、やめたいと思うこともありましたけど、やめたら天罰が下るだろうな、とも思います」
それから20年間勤め、36歳で十両格行司に昇進。位ひとつで待遇は大きく変わる。それまで土俵には裸足で上がっていたのだが、白足袋を履けるようになった。装束も絹物に変わり、明荷という衣装箱を持つことが許された。
「昇進してすぐは、なんだか少し地に足がつかないというか、裾がひらひらして気になったりしてましたね」
苦笑いする勘九郎さんは、九州は熊本出身。
「私、新十両になって初めての取組が、九州場所だったんですよ」
「故郷に錦を飾った、というわけですね」
「はい。それからこれも偶然なんですけれど、順当にいけば定年前の最後の土俵が、九州場所なんです」
相撲に神様がいるなら、ずいぶん粋な計らいである。
二宮敦人(にのみやあつと)
作家。1985年生まれ。おもな小説作品に『最後の医者は 桜を見上げて君を想う』『郵便配達人 花木瞳子 CASE 親指泥棒』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに。
(週刊FLASH 2017年10月3日号)