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フランクフルト引退の長谷部誠に広がる“無限の選択肢”…ドイツ語は堪能、コーチ業のオファーも

スポーツ 投稿日:2024.04.18 19:41FLASH編集部

フランクフルト引退の長谷部誠に広がる“無限の選択肢”…ドイツ語は堪能、コーチ業のオファーも

(写真・アフロ)

 

 2024年4月17日、独・ブンデスリーガのフランクフルトに所属する長谷部誠が現地で記者会見を開き、今季をもって現役を引退することを発表した。

 

 会見に出席した長谷部は「今シーズン終了後に現役選手としてのキャリアを終えます。ただ、まだすべて(シーズン)が終わったわけではない。今日発表して、チームとともにラストスパートに集中することを希望します」と流暢なドイツ語で語った。

 

 

 長谷部は2002年に浦和レッズでプロデビューを果たすと、J1リーグ優勝やAFCチャンピオンズリーグ制覇に貢献。2008年からは5シーズン半に渡って独・ヴォルフスブルグで主力としてプレー。2008-09シーズンにはケルンの奥寺康彦氏に続くブンデスリーガ王者に輝いた。

 

 その後、独・ニュルンベルグを経て2014年夏にフランクフルトに移籍すると、そのキャプテンシーに磨きがかかった。ボランチのみならず、初めて経験したリベロで新境地を開き、文字通りチームの中心選手となっていった。在籍した10シーズンで公式戦303試合に出場。2017-18シーズンのDFBポカール、2021-22シーズンのEL制覇に貢献するなど、チームのレジェンドになった。

 

 そのキャプテンシーはピッチ外でも発揮された。ドイツ生活15年以上ということもあり、ドイツ語は堪能。ドイツ語が話せない東欧圏から移籍してきた若手選手の通訳も務めていた。

 

 フランクフルトは、2022年1月に38歳を迎える長谷部に対して契約延長オファーを出した。40歳間近の、しかも体力的に劣る日本人に対してのオファーは異例中の異例。どれだけチームから重要視されていたかも分かる。

 

 日本代表チームでは、偉大なキャプテンだった。2006年に代表デビューし、歴代7位の通算114試合の出場で2ゴールを記録した。

 

 キャプテンに就任したのは2010年南アフリカW杯直前のことだった。当時、日本代表はどん底の状態にあった。国内での強化試合でいいところなく連敗。何かを変えなければいけないと感じた岡田武史監督はキャプテンを中澤佑ニからまだ26歳と中堅クラスの長谷部に変えたのだ。

 

 この“劇薬”は効いた。大会前の不調で南ア大会では期待されていなかった日本代表だったが、チームは2度めのベスト16入りを果たした。

 

 その後、2014年ブラジル大会、2018年ロシア大会と3大会連続でW杯に出場したが。3大会連続キャプテンは長谷部以外にはいない。

 

 南ア大会から帰国したその日に、長谷部から聞いたコメントが忘れられない。

 

「大会直前のキャプテン就任には焦ったのでは?」と聞くと「キャプテンは誰がやっても変わらないし、自分がなっても特別なことができるわけではありません。ただし普段から、キャプテンでなかったときも自覚を持ってやらないと、と感じていました」と即答。まさに150万部を売り上げた自書「心を整える」である。

 

 引退後の選択肢は無限に広がっている。いったん現場から離れて、外から見るのもいいだろう。だが、フランクフルトは放っておかない。独紙『ビルト』によると、フランクフルトはセカンドチームのアシスタントコーチの座を用意しているという。長谷部はドイツサッカー連盟の指導者育成プログラムに参加し、「B+」ライセンスを取得しているため指導に問題はない。

 

 日本のサポーターからは、将来的に“長谷部ジャパン”の誕生を望む声は多い。だが、ブンデスリーガでの初の日本人監督の誕生が先かもしれない。

( SmartFLASH )

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