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「短くなったなぁ」元近鉄・佐野慈紀氏が“戦友”右腕切断 それでもつづられる明るいコメントに集まる応援

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.05.08 18:35 最終更新日:2024.05.08 18:54

「短くなったなぁ」元近鉄・佐野慈紀氏が“戦友”右腕切断 それでもつづられる明るいコメントに集まる応援

2018年の「サントリー ドリームマッチ」で「ピッカリ投法」を披露する佐野慈紀氏

 

 近鉄、中日などで投手として活躍した佐野慈紀氏が、右腕を手術で切断したことを報告した。

 

 4月30日に56歳の誕生日を迎えた佐野氏。翌5月1日に、糖尿病による感染症が進行したため、右腕の切断手術を受けると、自身のオフィシャルブログ『佐野慈紀のピッカリブログ』で告白。このときは、手術への不安も吐露していた。

 

 

《感染症が進み明日右腕を切断する事に。56歳 最初の出来事が右腕を失う事。涙は出なかった。もちろんショックはあるけれど 何とか機能を残そうとしたけど。。。ままならない。受け入れることなんて出来ないけど 生きる為には乗り越えないとな》

 

 手術を終えた後の、7日のブログでは《皆さんからの温かいたくさんのメッセージに感激と感謝がやみません》と経過報告。

 

《今日初めて切った腕と対面しました。感想は短くなったなぁですね。痛みもなく順調なようです。受け入れようと思いつつもやっぱり観てみぬふり なかなか弱気なハゲオヤジです。まだまだ先は長いですが変わらず前を向いて 生きますね。健康第一 みんなかがや毛~!》

 

 と、ユーモアをまじえて心境を吐露した。

 

 8日には、包帯がグルグルに巻かれた右腕の写真をアップ。

 

《ぬいぐるみみたい。。。そんなええもんちゃうやろ! 至って元気です。》

 

 と、どこまでも明るく、コメントをつづっている。

 

「佐野氏は松山商から近大工学部を経て、1990年にドラフト3位で近鉄入団。1999年オフに中日へ移籍も、2000年終了後に自由契約となり、米独立リーグなどで2年間プレー。2003年にオリックスにテスト入団し、2試合に登板しています。現役時代は右腕の中継ぎ投手として活躍。日本での通算成績は353試合で41勝31敗27セーブ。日本プロ野球史上初となる、中継ぎでの1億円プレイヤーにもなりました。

 

 2003年に引退後は、解説者としてテレビや新聞などで活動しています。球界きっての明るい性格で、芸達者でも知られ、若いときから髪が薄いことを得意の“ネタ”としていました。高々と上げた両腕が帽子に当たり、偶然、前頭部があらわになったまま投げる投法を『ピッカリ投法』と称し、これも持ちネタにして披露しています」(スポーツ担当記者)

 

 右投げ投手にとっては“戦友”ともいうべき右腕を切断する事態となっても、あくまで明るい佐野氏に、SNSでは同情と賞賛の声があふれている。

 

《利き腕の右腕を切断されるまでに相当な葛藤があったと想います。簡単に言って申し訳ございませんがリハビリを兼ね何らかの形でいいのでドリームマッチに出場してもらいたいものです》

 

《応援します。人生つらいことの方が多いですが、下を向いてられないと感じました。こちらが励まされてしまいました》

 

《暗くならずに今までみたく明るく笑い飛ばしてほしい テレビにも出てほしい》

 

 いつか左腕でのピッカリ投法が見られる日が来るかもしれない。

( SmartFLASH )

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