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北の富士さん死去「プレイボーイ横綱」時代、歯に衣着せぬ解説、抜群のファッション…生涯貫き通した「華やかさ」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2024.11.22 10:35 最終更新日:2024.11.22 10:42

北の富士さん死去「プレイボーイ横綱」時代、歯に衣着せぬ解説、抜群のファッション…生涯貫き通した「華やかさ」

亡くなった北の富士さん(写真・共同通信)

 

 忖度なしの解説に抜群の話術。人気相撲解説者だった北の富士勝昭(本名・竹沢勝昭)さんが亡くなっていたことが、11月20日にわかった。82歳だった。

 

 現役時代は多彩な技と速攻相撲で一時代を築き、1970年初場所後に52代横綱に昇進。通算10度の優勝を果たした。

 

 引退後は千代の富士、北勝海(現八角理事長)の両横綱らを育てるなど、ゆくゆくは協会幹部として期待されたが、つねづね「師匠は50歳まで」と語っていたとおり、早期退職で解説者に転身した。

 

 ベテラン相撲ライターが語る。

 

 

「現役時代から、破天荒な力士として有名でしたね。とくに印象深かったのが1973年のこと。この年は初場所から調子が悪く、負け越したり、途中休場したりと、さんざんでした。ところが休場後にハワイに渡り、サーフィンをしていた写真が新聞に載り、厳重注意を受けました。普通の力士ならへこむところですが、秋場所では全勝優勝を果たしました。

 

 身長185cmであのマスクですからね、『プレイボーイ横綱』『夜の帝王』と呼ばれ、とにかくモテました。銀座のお姉さんたちが『順番待ちしている』なんて、嘘のような話がささやかれたほどです」

 

 引退式、師匠、解説者と時代は変わっても、「北の富士さんの華やかさは変わらなかった」と続ける。

 

「歌も抜群にうまく、『ネオン無情』で歌手デビューしたばかりか、50万枚のヒットになりました。その影響か、引退相撲の断髪式後には白いタキシードで現れ、自慢ののどを披露しました。角界で、こんなことは前代未聞の出来事でしたよ(笑)。

 

 指導者としても一流でした。一方で日々のルーティンは不変で、夜の街へ繰り出す回数は減りません。弟子たちの手前、九重部屋には門限破りを犯すと5000円の罰金があったんですが、いちばん払ったのが北の富士さんだったといいます」

 

 解説者としては歯に衣(きぬ)着せぬ論評で人気があったが、取組の合間に映る、その日の服装にも注目が集まった。

 

「髷を落とすと、着物を着なくなる元力士の方は多いんですが、北の富士さんは別。しかも小物を取り入れたりと、着こなしが抜群にうまかった。粋なんですね。かと思えば、ある日の解説では真っ赤なジャケットに、手首にはごっつい白の時計をしていて。またあるときは、サテンの青のスーツに青のマフラーをバシッと合わせたり、とても70歳を過ぎた人の着こなしではありませんでした」(スポーツ紙担当記者)

 

 大型力士が真正面からぶつかり合うのが大相撲。当然、身体に受けるダメージは大きいが、すべての力士の標的となる横綱なら、なおさらだ。そのため、横綱は短命で人生の幕を閉じることが多いという。昭和の大横綱だった千代の富士は61歳、北の湖も62歳の若さだった。

 

 明治以降に生まれた横綱でもっとも長生きしたのは、2021年に亡くなった栃ノ海の82歳10カ月。生前、北の富士さんは「最長寿横綱になる」と語っていたという。82歳7カ月での幕引きとなり、わずかに願いは届かなかった。合掌。

( SmartFLASH )

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