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箱根駅伝の優勝メンバー「OB座談会」人気の女子アナと食事も…

スポーツ 投稿日:2018.01.10 06:00FLASH編集部

箱根駅伝の優勝メンバー「OB座談会」人気の女子アナと食事も…

 

 青学の優勝で幕を閉じた箱根駅伝。そこで、優勝を経験したOBたちに「もうひとつの箱根駅伝」を語ってもらった!

 

座談会メンバー】
●中野幹男(42)1998年 第74回大会 神奈川大優勝メンバー 
●西田隆維(40)2000年 第76回大会 駒澤大優勝メンバー 
●八木勇樹(28)2011年 第87回大会 早稲田大優勝メンバー 

 

ーーエントリー発表後、本番前の選手たちはどんな心境なんですか?

 

八木 エントリーのなかから6人は外されることになるので、チーム内にはなんともいえないピリピリムードが漂いはじめますよね。

 

中野 私は、3年生のときに10区のアンカーをまかされていたのですが、12月に入って、大学近くのファストフード店でテスト勉強をしていたら、インフルエンザに感染してしまい……。直前には完全に復調したのですが、体調管理ができていないということで外された苦い経験があります。

 

西田 箱根ではしばしば脱水症状や痙攣など、まさかのアクシデントが起きますが、自分が走る区間で、襷を途切れさせてはいけない、順位を落としてはいけない、あのプレッシャーは経験した人にしかわからないよね。

 

八木 そうなんですよー。僕は2年生のときに、山登りの5区をまかされ、“山の神” こと東洋大の柏原竜二と直接対決しているんです。調子もよかったので、そこそこ戦えると思って臨んだのですが、本格的な山登りに入る5キロ手前であっさり抜かれて、完全に気合は空回りでしたね(苦笑)。
 しかも、当時の早稲田大は、優勝候補に挙げられていたので、ネットの掲示板などで「八木が戦犯、早く死んでくれ」など、たくさん誹謗中傷されました……。

 

中野 私は2年生のときに1区を走りました。1区のスタート時間は朝8時なので、深夜2時半に起床して大学の車で東京・大手町に向かいました。10日前から生活スタイルを変えて、深夜2時、3時に起床していたのですが、逆に体が疲れてしまって、出場15校中14位と完全に裏目に出ましたね。
 また1区のランナーが、翌年の大会の公式ポスターに載るので、大学の宣伝のためにもいい位置で走ろうと、スタート直後に突っ込んだのも敗因でした。

 

ーー3人は箱根駅伝で優勝を経験していますが、頑張ったご褒美はあったりするんですか?

 

八木 翌日、朝の情報番組に生出演できたのですが、じつはここでも僕やらかしているんですよ……。アナウンサーから「八木選手はAKB48の曲が心の支えなんですよね?」と振られ、ついつい乗せられてしまって『ヘビーローテーション』のダンスを披露してしまったんです。
 僕としては、チームメイトの言動が硬かったので、イメージアップになるように、よかれと思ってやりました。でも、番組終了後にOBの方からお叱りを受けましたよ(苦笑)。

 

西田 僕は4年生のときに優勝しているのですが、なぜか白いブリーフが寮に送られてきたのを覚えています……。ご褒美ということでは、12月に密着取材をしてくれたテレビ制作スタッフが、大会後に当時人気だった女子アナと食事をする機会をセッティングしてくれました。あまりに美人だったので、目を合わせられず困りました(笑)。
 あとは、数日後に実家に帰省して、朝ジョギングをしていたら、見ず知らずのおじさんから「隆維、お前立派になったな」と、突然声をかけられたくらい。

 

中野 僕も4年生のときに主将として7区を走り、チームも総合優勝。卒業後は実業団に入ることが決まっていたので、優勝のご褒美ということではないのですが、米国・ボルダーの海外合宿に帯同させてもらったんです。その合間に、オレゴン州にあるナイキ本社にも連れていってもらい、そこで偶然マイケル・ジョーダンを見かけたんです。ジョーダンとともにNBAシカゴ・ブルズの黄金期を築いたスコッティ・ピッペンもいて、握手してもらって大興奮したのを覚えています。

 

ーー箱根駅伝に出場して注目を集めることで、環境の変化があるんですね。

 

八木 僕は三枚目の路線だったので……。イケメンの選手は、たくさんのプレゼントをもらっていたけど、僕にはひとつも届きませんでした。優勝した後、テレビにも出たし、ちょっとだけ期待していたんですけどね(笑)。
 反対に、ある日、治療を受けるために新宿の繁華街を歩いていたら、見ず知らずの人にツイッターで、「早稲田の八木がいた」と投稿されていたんです。いつ、どこで誰に見られているかわからない。言動には気をつけないといけない、と思いました。
 また、優勝して数週間後に、突然知らない男性から電話がかかってきて、「俺のオンナにちょっかい出すな!」と、まったく身に覚えのない因縁をつけられたこともあります。

 

西田 僕は地元の走友会に所属するおじいちゃんランナーから「君の走る姿に感動した」と、達筆な毛筆の手紙をもらったことがあるけど(笑)。それだけ、僕たちの時代は牧歌的だったってこと。それに比べて、人気が過熱したいまの選手は大変だと思います。

 

中野 神奈川大生の地元・六角橋商店街ではヒーロー扱いでしたよ。定食屋に立ち寄ったら、「地元の英雄からお代はもらえない」って。

 

なかのよしお
主将で挑んだ1998年の第74回大会では7区を区間賞の走りで連覇に貢献。卒業後は雪印、佐川急便の陸上部で活躍し、その後スポーツトレーナーに転身。現在は松蔭大学女子駅伝部監督

 

にしだたかゆき
箱根駅伝には4年連続で出場。2000年の第76回大会では9区の区間賞を獲得。卒業後は名門・ヱスビー食品に進み、2001年世界陸上のマラソンで9位に入る。2009年2月に現役を引退

 

やぎゆうき
3年から4年にかけて主将となり、出雲、全日本、箱根の大学駅伝三冠達成に貢献。卒業後、実業団に進むも、2016年6月にYAGI RUNNING TEAMを発足。現役ランナー

 

(週刊FLASH 2017年12月26日号)

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