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星野仙一「最愛の女性」が語った「闘将と私の密愛」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.01.17 11:00 最終更新日:2018.01.17 11:00
「今まででいちばん好きだった人かな。優しくて繊細な人でしたね」
そう語るのは、銀座でトップクラスの高級クラブでナンバーワンのホステスだった理恵さん(42・仮名)だ。
彼女が愛してやまなかったのは、1月4日に膵臓ガンで急逝した「闘将」星野仙一氏(享年70)。1997年に愛する扶沙子夫人を白血病で亡くして以来、星野氏は独身を貫いてきた。理恵さんはそんな星野氏を支えた女性の一人だった。
2人が出会ったのは2002年、星野氏が阪神の監督としてスタートを切った年。星野氏と明治大学の同期で、六本木でライブハウスを経営する白浜雅昭氏(71)は当時をこう振り返る。
「仙ちゃんと一緒に銀座のクラブに行ったら、彼はホステスだった理恵さんに一目惚れ。なんとか会えるようにセッティングをしてほしいと頼んできたんです。当時理恵さんは、大企業の社長さんたちが争奪戦を繰り広げる人気者。仙ちゃんは意外にもシャイで、自分から声をかけられなかったんですよ」
白浜氏は星野氏の宿泊先だったホテルに理恵さんを連れていった。
「最初にお会いしたときは、ちょうど選手に対して怒っていらしたところでした。この人、怖い人だなあというのが最初の印象。でも部屋に入って2人になると、そんな怖さは微塵もない。本当に優しい人なんです。私のほうが彼に惚れちゃった。それ以来おつき合いをするようになりました」(理恵さん)
星野氏を知るプロ野球関係者は「星野さんの好みは、背が高く、モデルのような女性だった」と話す。
理恵さんは170センチの長身でスタイル抜群、竹内結子似の美人だ。「サバサバしたところが奥さんに似ていると言われました」(理恵さん)。闘将の心を癒やすにはぴったりの女性だった。
「東京での試合が終わると、お店にいらっしゃっては、2人でホテルに戻りました。星野さんはお酒を一滴も飲みませんでした。部屋にはいつも一般紙とスポーツ紙が全紙置いてあった。勉強熱心だなあと思っていました。私が野球に興味がないこともあって、野球の話は一切しませんでした。50代と20代でしたから喧嘩にもなりません。いつも私を気遣ってくれていました」(理恵さん)
逢瀬はいつもホテルの部屋。都内では外食もままならなかった。オフに豪州・ゴールドコーストの別荘に行ったのはいい思い出だ。
2人の関係は、星野氏が阪神の監督を辞めたころに解消されたという。
「私がお別れを切り出したんです。だって遠距離恋愛に耐えられなかった。でも、次に好きになった人は星野さんによく似た人でした。どこか星野さんの影を追っていたんですね」
(週刊FLASH 2018年1月30日号)