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森喜朗元首相、車椅子で大学ラグビーを観戦! 早大OBが語る「父に教え込まれた“ラグビー愛”」

2024年12月21日、東京・秩父宮ラグビー場で母校・早稲田大学の試合を観戦する森喜朗元首相
2024年12月21日、東京・秩父宮ラグビー場では、61回めとなる全国大学ラグビーフットボール選手権大会の準々決勝がおこなわれていた。関東大学選手権で17年ぶりの全勝優勝を果たした早稲田大学は、関西リーグ3位の近畿大学と対戦。8トライをあげる猛攻で、53対10で近大を降し、2大会ぶりの準決勝進出を果たした。
この試合を、車椅子から熱心に観戦していた人物がいる。早大出身の森喜朗元首相だ。ただ、手には近大の旗が……。もしや“寝返った”のだろうか?
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「違いますよ。たまたま、ファンの方から近大の旗を手渡されていただけです。森さんは笑ってお話しされていて、元気そうでした」(居合わせた観客)
2000年、脳梗塞で倒れた故・小渕恵三首相(当時)から急遽、引き継ぐ形で首相に就任した森氏。在位期間は決して長くなかったものの、退任後は清和会のドンとして、長く永田町に“キングメーカー”として居座り続けた。現在は表舞台から距離を置いているものの、ラグビーに対する姿勢は並々ならぬものだという。早大ラグビー部OBがその熱意を語った。
「森元首相は、87歳になったいまも、早稲田の試合を応援する姿をよくみかけます。1月に開催された、対帝京大学の決勝戦も、もちろん観戦していました。結果、早稲田は準優勝でしたが……。森元首相は、2019年まで日本ラグビーフットボール協会の名誉会長を務め、2023年にはアジア初となるラグビーワールドカップの日本開催にも尽力しています。日本ラグビーの発展のために貢献された功績は、誰もが認めるところでしょう。インタビューで『ラグビーに出会えたことが、人生でいちばんの幸せ』と語ったこともあるほどです」
“日本ラグビーの父”とも呼べるほどの森元首相。そんなラグビー愛の原点は父・森茂喜氏にあるという。
「茂喜さんは石川県根上町(現・能美市)の町長をされていた方で、早稲田のラグビー部の大物OBでもありました。戦後、食糧難でご飯も満足に食べられずにラグビーをしている学生がかわいそうだと、早稲田のラグビー部を根上町に呼んで、夏合宿を始めたと聞いています。そういう経緯があって、森元首相もラグビーに興味を持ったのだと思います。
森元首相は金沢二水高校時代でラグビー部に入部し、キャプテンを務めたと聞いています。スタンドオフとして活躍し、石川県では有名な選手だったようです。高校卒業後は、父の母校でもある早稲田に進学し、父の知人でもあった大西鐵之祐(てつのすけ)監督の勧めでラグビー部に入部しました」(同前)
順風満帆なラグビーのキャリアを重ねていたが、挫折を経験することになる。
「全国から集まった強豪選手のなかで、あまりに過酷な練習について行けず、わずか数カ月で退部してしまったと聞いています。そして森元首相はラグビーをあきらめ、早稲田の雄弁会に入り、お父さんと同じ政治家の道を目指すことになりました。ただ退部したとはいえ、いまもなお応援を続けるのをみると、いまだにラグビー愛は健在なのでしょうね」(同前)
挫折の悔しさが、元首相のラグビーへの思いを、ますます深めたのかもしれない。