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朝日山親方に聞いてみた「相撲部屋って儲かるの?」

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.02.22 06:00 最終更新日:2018.02.22 08:26

朝日山親方に聞いてみた「相撲部屋って儲かるの?」

 

 相撲の親方とはどんな人なのだろうか。現役時代に業績を残し、さらに年寄名跡という一種の権利を手に入れないと親方にはなれない。選ばれた者なのだ。

 

 戦士のなかでなお生き残った戦士。かつて若貴キラーと呼ばれた元・関脇琴錦、現朝日山親方もその一人である。かなり緊張しながら取材に伺うと、約束の時間より少し前に扉が開いた。

 

「どうもどうも、遠くまでありがとうございます」

 

 スーツに身を包んだ親方は白い歯を見せてにこにこ笑い、軽く片手を上げてみせる。ふと、足元から犬が現われ、我々を出迎えるようにひょいっと尻尾を振った。

 

 部屋持ち親方になってからまだ1年半。引退してから15年ほどかかった計算になる。

 

「まずは館内警備から始めるんですよ。親方は最初はみんなそう」

 

 成績や国籍など一定の条件を満たして引退した力士は、日本相撲協会の一員になる。この時点で、親方と呼ばれるようになる。そして運営スタッフとしての仕事を行うのだ。

 

「次に私は切符売り場に行きましてね。9年間、国技館で切符売ってました。まだあんまり売れない時代でね、朝から夕方まで売り場に座って。お金も間違えちゃならないから何回も計算し直してさ」

 

 この愛想の良さ、屈託のなさ。チケット売り場の気のいいおじさんという印象である。取材としてはやりやすいのだが、戦士の気配はどこにも感じない。

 

「みんなにも、随分変わったと言われますよ。切符売り場に入るとね、『まずは電話のかけ方から覚えようね』なんて言われるんです。1日100本くらいかけるんですけど、最初のうちは客と喧嘩になってね。何だこの野郎ってなもんで、言い合いになってしまう。

 

 でもね、私の上司が客に謝ってるんですよ。それを見て、変わらなければと思ったんです。だんだんうまくできるようになって、そのうち暇な客が用もないのにかけてきたりしてね、ハハ」

 

「そこから部屋を持つに至ったのは、やはり部屋持ち親方になりたかったということでしょうか?」

 

 親方は頷いた。

 

「うん、なりたかったですよ。でも諦めてました。ある時言われたんですよね、『部屋を持つ気になれば、回ってくるよ』と。じゃあやってみるかと動き出したら、条件付きで名跡を譲ってくれる人が現われて、この物件も提供してくれる人に巡り会ってね、今に至ります」

 

 企業の社員寮を改装した相撲部屋には土俵がデンと据えられている。僕たちは脇の談話スペースで向かい合っていた。

 

「あの。相撲部屋というのは、儲かるんでしょうか?」

 

 こんな下らない質問にも、赤ら顔をつやつや輝かせて答えてくれる。

 

「うん、今ちょうどぴったんこくらいですよね、まったく残らないくらいかな。まだ弟子も6人しかいないしね」

 

 相撲部屋は所属する力士の人数によって相撲協会から収入が得られる。弟子が少ないうちは、かつかつなのだ。

 

「ギリギリのところで誰かに助けてもらう、の繰り返しです。米が足りなくて困ると、米が届くとか。食べ物は故郷の群馬から送ってもらえるから、だいぶ助かってます。今はむしろトイレットペーパーとか、洗剤が欲しいですね」

 

 随分庶民的な話である。

 

「でもね、楽しみは多いですよ。引退してからも家内とは一緒に行動することなんてなかったけどね、今は巡業とか場所のたびにいろんなところに行けるからね。小旅行みたいなもので」

 

 部屋持ち親方は所属力士の面倒を見る。それはトレーニング、実戦指導という意味でもそうだし、場所中の宿舎の手配、力士のスカウトなども必要だ。野球でいえば監督である。

 

「マネージャーを雇う余裕がないからね、全部自分でやらないとなりません。でも、やっぱり自分の部屋はいいもんだね」

 

 親方はのんびりと微笑んだ。

 

二宮敦人(にのみやあつと)
作家。1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は桜を見上げて君を想う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに。
(週刊FLASH 2018年2月6日号)

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