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朝日山親方に聞いてみた「入門の日」いきなり鼻パンチで起床

スポーツ 投稿日:2018.02.23 11:00FLASH編集部

朝日山親方に聞いてみた「入門の日」いきなり鼻パンチで起床 

 

 かつて若貴キラーと呼ばれた元・関脇琴錦、現朝日山親方に話を聞きにいく。部屋の高い壁には巨大なパネルが飾られていた。親方の現役時の、勇ましい全身像だ。

 

「たまに自分でもね、ほんとに相撲やってたのかなって思いますよ」

 

 親方は遠い目でパネルを見上げる。

 

「あの優勝写真も、本当に自分なのかなって。若乃花とか貴乃花とか、あんな怖い奴らとね、渡り合っていたなんてねえ……」

 

 現役時代は、闘争心の塊だったという。

 

「入門の日のことをよく覚えてますよ。白いベンツで師匠が迎えに来てくれてね、その日の夜まではお客さん扱い。で、翌日の4時。いきなり鼻にパンチで起こされるんですよ。もう、鼻血ダラッダラ」

 

「えっ……それは、グーですか?」

 

「ええ、グーです。本気のパンチです。痛いというか、熱いんだ、もう」

 

 4時に起きて、4時半から稽古開始。しごきは凄まじかった。

 

「今じゃ考えられないけどね、当時はよくぶん殴られた。それもスコップとかバットで、フルスイングですよ。兄弟子も師匠も半端じゃなかった。稽古場にね、テープの巻かれた竹箒が500本とかあってね。自分だけで1日に5、6本壊れるんですよ。それくらい殴られた。稽古も厳しかった。足の裏の皮がこうベロンと剝がれて、爪も取れて血まみれですよ」

 

 ただ、それには理由もあったという。理由があればいいというものでもないが。

 

「初日の稽古で、私は関取の顔も思い切り張ったからね。それどころか、師匠の顔も張りました。もちろんぶっ飛ばされましたよ。でも、それでも向かっていった」

 

 鼻っ柱の強い新人だったわけだ。目をつけられるのも納得である。

 

「強くなりたかった。うちは貧しかったし、お袋にいい思いをさせたかったんです。そりゃ嫌になる時もあってね、お袋に電話するんですよ。そうすると『いつでも帰ってこい』と言われるんです。だから踏ん張ってね。あれがもし『もう少し頑張んなさい』だったら、頑張れなかったかもしれないなあ」

 

 入門当初は一番下っ端だから、食事の配膳は最後だ。当時70人いた相撲部屋の、一番最後である。

 

「もうね、朝のちゃんこのおかずがないんですよ。スープしかない。その、おかずの欠片だけが残ったスープをご飯にかけて、ポン酢かけて流し込むんです。身体を大きくしたくてね、とにかく食った。丼で12、3杯は食べましたよ。その後掃除に後片付け、晩飯の支度があって」

 

 皿洗い一つとっても70人分だ。家事を同期と2人でこなしていると、あっという間に時間が過ぎる。通常相撲部屋では昼寝をするが、そんな暇はなかった。

 

 夜になってみんなが寝てからは、屋上で一人、ダンベルを使って筋トレをした。

 

「体が小さかったんです」

 

 入門当時は基準ギリギリの175センチ、80キロだった。力士としてはかなり小さい方といえる。ちなみに現在の白鵬は192センチ、155キロだ。

 

「みんなに、本当に会う人誰にでも、お前は絶対勝てないと言われました。名前も覚えてもらえなくて。『キミ』とか『ぼく』とか呼ばれてましたよ。『そこのぼく、土俵に上がりな』とか。でも、2年で幕下に上がって。やっと『マツ』とあだ名がつきました。本名が松澤ですから。でも、たぶんフルネームは誰も知らなかったんじゃないかなあ」

 

 そこから琴錦と四股名がつき、やがて破竹の進撃を開始する。

 

「4年で十両、5年で幕内が目標で、きちんと達成してね。先代の琴錦がどこまで行ったかを調べたら、小結だった。そこまでは行かないとな、と思いましたね」

 

 前頭四枚目に上がり、初めて横綱・大関と対決。だがここで彼ら全員に敗北を喫する。

 

「初めて千代の富士に当たった時はね、思い切ってぶちかまして行ったんですよ。そうしたらこう、がっちんと受け止められて。胸が硬かった、本当に。力も強くて。左前回しを取られて、あとは何もできなかった。体が浮き上がって、そのまま」

 

 完敗である。

 

「でもね、手応えを摑んだんです。胸が硬いということは、角度をつけて飛び込めば、弾き出せるのではないかと考えた。次の対決では先に構えて待っておいてね、タイミングをよく見て、一発突き放すようにこう、弾いた。そうしたら千代の富士は明らかに焦ってね、引きました。そのまま寄り倒して勝ったんです。どんな横綱にも弱点はあるのだと思いましたよ」

 

「どうして、そんなふうに向かっていけたんですか? 恐ろしくはなかったんですか。また負けるんじゃないかとか」

 

 親方はうんうんと頷いて笑う。

 

「もうね、勝とうと思ってないんだよね。それよりも次はこうしてみよう、だから。また負けたら、次はこうしてみるか、となるだけで」

 

 まさに戦士の歴史だった。闘争心とは、なにがなんでも勝つという意識ではない。勝ちすら意識から離れた、集中状態なのである。

 

「私はね、大事にされていたらダメな力士だったんだと思いますよ。褒められると必ず負けるんだよ。師匠と揉めてる時は、優勝しちゃったりしてね。だからしごかれた兄弟子や、師匠にも、本当に感謝してます」

 

二宮敦人(にのみやあつと)
作家。1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は桜を見上げて君を想う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに。

(週刊FLASH 2018年2月6日号)

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