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「ミスタープロ野球」長嶋茂雄さん死去 倒れた後も「長嶋茂雄」を演じ続けたファンへの“サービス精神”

2009年、パーティに参加した長嶋茂雄さん
「巨星墜つ!」
日本のプロ野球界発展に多大な貢献を果たした、読売巨人軍の長嶋茂雄終身名誉監督が、2025年6月3日、肺炎のため、都内の病院で午前6時39分に死去したことが明らかになった。89歳だった。
「同日13時ごろ、息子でタレントの長嶋一茂さん、次女でスポーツキャスターの三奈さんが、茂雄さんのご遺体とともに帰宅しました。三奈さんは報道陣に会釈すると、茂雄さんの荷物などを自宅に運んでいました。
13時半を過ぎると、福岡ソフトバンクホークスの王貞治会長が自宅に弔問に訪れました。自宅に入る前、一茂さんと三奈さんに深々と一礼。10分ほどで自宅から出てくると、一茂さんらにあいさつをしてその場を去りました。去り際の悲しそうな目が印象的でした」(スポーツ紙記者)
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長嶋さんは千葉県臼井町(現・佐倉市)出身で、県立佐倉一高(現・佐倉高)から1954年に立教大へ。通算8本塁打を放ち、当時の東京六大学野球記録をつくった。1950年代は、プロ野球よりも東京六大学野球のほうが人気のある時代。その象徴が長嶋さんだった。
1958年、長嶋さんが巨人入りすると、野球人気も東京六大学からプロ野球へと移行するのは自然の流れだった。プロ野球は、国民にとって重要な娯楽へと成長していくわけだが、その中心にはいつも長嶋さんがいた。
多くの人は「記録の王貞治・記憶の長嶋茂雄」と語るが、記録でも多大な足跡を残していた。
「入団1年めに打率.305、29本塁打、92打点、37盗塁の成績を残し、本塁打と打点の二冠を達成。しかも、ベースの踏み忘れで本塁打を1本取り消されなければ、ルーキーとして史上初の“トリプルスリー”を達成していたことになります。これ以来、長嶋さんには『チョンボ』の愛称がついて回ることになりました(笑)。現役17年間で獲得したおもなタイトルは、1958年の新人王を皮切りに、首位打者6回、本塁打王2回、打点王5回、MVP5回。記録の面でも王さんに引けを取らない成績といえるでしょう」(スポーツ紙デスク)
1974年、後楽園球場で「わが巨人軍は永久に不滅です」の名言を残し、17年間の現役生活に別れを告げた長嶋さん。同時に巨人の監督に就任するわけだが、ポジションが代わってもファンを引きつけ続けた。
就任1年め、自身を含めた世代交代に王の負傷欠場もあり、巨人は球団創立史上初の最下位に沈んだ。だが、翌年には最下位から劇的なリーグ優勝のリベンジ。1980年に解任されるまで、2度のリーグ優勝を果たした。1993年には巨人監督に復帰。3度、リーグを制し、1994年と2000年には日本一に輝いた。2001年に惜しまれつつ辞任し、巨人軍終身名誉監督となった。
現役時代の晩年、2度の監督時代を取材した、元スポーツ新聞の巨人担当記者が述懐する。
「自宅に張り込んでコメントをもらうのは禁止されていたんです。でも、どうしても必要となれば行ってしまうんですが、そんなときでも怒らずに何らかのコメントはくれるんです。しかもふだん、つき合いがあって顔を知っている我々のようなスポーツ紙の記者だけでなく、週刊誌の記者などへの対応も変わらなかった。プレーにも引きつけられましたが、そうした人間性も同様で、当時の担当記者はみな、長嶋さんが大好きでしたね」
グラウンドを離れてもサービス精神にあふれる長嶋さんに、思わず「疲れませんか?」と聞いたことがあるという。
「その答えは『NO』の完全否定でした。そればかりか『長嶋茂雄を演じているときはありますよ。でも、それが嫌いじゃないんです』と。『野球とは人生そのもの』と言い切る人でしたから、野球や自分に関してのことであれば『ファンのためには何でもやってあげたい』という気持ちが強かったんでしょうね。
そうでなければ、脳梗塞で倒れた後の自分をさらさなかったと思います。あれだけ野球を極めた人ですから、普通なら右手が不自由になり、言葉もおぼつかない自分を見せれば、ショックを受ける人がいるのではないかと思うでしょう。それでもリハビリの姿を放送させたりしたのは、それでも長嶋茂雄を気にするファンのためだったと思いますね。と同時に、自分もそういう状況を楽しんでいたのではないか、という気持ちもあります」(同前)
2013年には、監督時代に巨人の4番打者へと育てた松井秀喜氏とともに、国民栄誉賞を受賞した。2021年夏の東京五輪開会式では、王氏、松井氏と聖火ランナーを務め、同年秋には元プロ野球選手として初の文化勲章を受けた。「ミスタープロ野球」はすべてをやり遂げ、ほっとした気持ちとともに天国へ旅立ったのかもしれない。