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長嶋茂雄 21年間のリハビリでも最後までミスター節健在だった! 特写、密着、直撃、発掘…秘蔵写真21枚!

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記事投稿日:2025.06.12 06:00 最終更新日:2025.06.12 06:00
出典元: 週刊FLASH 2025年6月24日・7月1日合併号
著者: 『FLASH』編集部
長嶋茂雄 21年間のリハビリでも最後までミスター節健在だった! 特写、密着、直撃、発掘…秘蔵写真21枚!

2003年1月、ヤンキースに移籍する松井秀喜についての取材で、松井を引き当てたドラフト時のガッツポーズを再現してくれた

 

「長嶋さんが亡くなったというニュースを見たときは、思わず『あー』って声が出ました。ついに長嶋さんが逝っちゃったんですね。ショックが大きすぎます。50年も長嶋さんの髪を切ってきましたから……」

 

 6月3日、読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(享年89)が肺炎のため、都内の病院で亡くなった。冒頭の言葉は、長嶋氏が50年間通い続けた理髪店「文化理髪室」の店主・吉田博さん(78)のものだ。長嶋氏は選手や監督時代だけではなく、脳梗塞を患ってからも同店に通い続けていた。

 

「長嶋さんが2004年に脳梗塞で倒れたとき、3日後に『病室で髪を切ってくれ』と、連絡が来たんです。驚きましたよ、大丈夫なのかと。長嶋さんは、車椅子にうずくまるように座っていました。病室では髪をちょっとだけ切って、シャンプーもしました。長嶋さんは洗髪が大好きでしたから。店に戻ってから泣きましたね。どうなってしまうのか、不安でしょうがなかった」(吉田さん)

 

 

 長嶋氏は退院後、リハビリも兼ねて、吉田さんの理髪店に足繁く通っていたという。

 

「2階の店に上がる階段を『エッサ、エッサ』と声を出しながら上がって来ました。店に来るたびに色紙にサインをもらっていましたが、脳梗塞を患って以降は左手で『長嶋茂雄』と書いてくれました」

 

 必ず社会復帰して、ファンに元気な姿を見せるんだーー。

 

 その一念で、長嶋氏は21年にも及ぶリハビリ生活を送ってきた。語るのは、長嶋氏の治療を陰で支えた医師で、ねりま健育会病院院長の酒向正春氏だ。

 

「私が大学病院の脳外科医だったときに、長嶋さんが搬送されてきました。その後、ご縁あってリハビリ医としても、2011年までサポートしました。そこでわかったのは、長嶋さんはずば抜けて筋力と体力があったこと。それだけでなく、ずば抜けてよくなりたいという気持ちがあった。自分が世に出ることで、みんなを元気にできることをよくご存じでしたね」

 

 酒向氏は、長嶋氏から3つのことを教わったのだという。

 

「1つめは『攻めのリハビリで回復する』ということ。長嶋さんの頑張りを見て、社会復帰するためにはちょろっとやるのではなく、ガンガン攻めるリハビリが必要だということを教えられました。

 

 2つめは『人間回復』。障害で麻痺が残ったりすると、なかなか元に戻らない場合が多い。長嶋さんはそんな状態からでも、できる限り人間力を高めて現場復帰まで回復するという意思を感じました。

 

 3つめは『筋肉』。私たちは『筋肉革命95』と言っていますが、長嶋さんは『リハビリは裏切らない』と口にしていました。誰もが加齢で弱っていくものですが、95歳になっても介護がいらないコンディション作りという意味を込めて命名しました。長嶋さんは障害を負って21年間も、日本国民のために元気な姿を見せ続けてくれました。その努力に心から敬意を表します」

 

 長嶋氏の驚異的な回復力は周囲を驚かせたという。長嶋家に近い関係者はこう話す。

 

「長嶋さんが脳梗塞で倒れた当初は、医師から『寝たきりも覚悟してください』と言われていました。ところが2週間後には、介助は必要なものの立ち上がって歩いていました。これには、病院関係者も目を丸くしたといいます」

 

 リハビリも、むしろ楽しげにやっていたという。

 

「ペダル漕ぎやランニングマシン、プレス機械を使った筋肉トレーニングなど、ハードなものでした。でも、長嶋さんは『リハビリじゃない。筋トレだよ』と言って、むしろ楽しげだったそうです」

 

 必死に己と闘い続けてきた長嶋氏を悪夢が襲ったのは2022年。自宅で尻もちをついた際に後頭部を打ち、再び緊急入院することに。そのまま療養生活を送っていた長嶋氏だったが、今年6月初めに急性肺炎になり、帰らぬ人となった。

 

 冒頭の理髪店の店主・吉田さんは、こう述懐する。

 

「長嶋さんが再入院する3年前まで、自宅に出張して髪を切っていました。自宅のリビングの床に新聞紙を敷いて椅子を置き、前のテーブルに鏡を置いてね。長嶋さんは何かを話すこともなく、じっとしていました。ただ、目は開いているんですよ。仕上がりを見ていたのでしょう。こちらから話しかけることはあまりしませんでした。残念だったのは、シャンプーをしてあげられなかったこと。病院に移られてからは、髪を切ることはなくなりましたが、できることなら行ってあげたかったです」

 

 野球ファンの間では、89歳は「ヤキュウ」であり、大好きだった「3」のつく日に亡くなったと、早くも神格化されている。長嶋氏の “魅せる野球” は、大谷翔平が受け継いでいく。

 

写真・本誌写真部

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