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【独自】山本由伸 「もう取材は受けないで」弁護士直電で故郷・岡山の後援会が解散していた!

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記事投稿日:2025.11.10 06:00 最終更新日:2025.11.10 06:00
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
【独自】山本由伸 「もう取材は受けないで」弁護士直電で故郷・岡山の後援会が解散していた!

ワールドシリーズ第7戦で力投する山本由伸(写真・共同通信)

 

「野球少年に戻ったような気持ちでした」

 

 松井秀喜に次ぐ、日本人として2人めのワールドシリーズMVPに輝いた山本由伸ドジャースが連覇を決めた試合を、彼はこう振り返っていた。だが一方で、野球少年時代を過ごした彼の故郷で、ある“異変”が起こっていた。

 

「同シリーズの第7戦、9回途中から登板した山本は、見事チームを世界一に導きました。前日には6回96球を投げて勝利投手になった山本ですが、中0日での好投に賞賛の声が集まっています。現地には、熱愛が報じられたモデルのNikiさんの姿もあったといい、このお忍び観戦がSNSで話題になりました」(スポーツ紙記者)

 

 英雄の誕生に、山本の故郷・岡山県備前市伊部地区は沸いていた。本誌記者が現地を訪れると、お祝いムード一色。JR伊部駅構内には、山本のユニホームなどゆかりの品々が飾られた特設コーナーが設けられていた。

 

 さらに、地元にはできたばかりの“観光地”がある。今年6月下旬、山本が野球を始めた少年野球チームの練習グラウンドである公園に、山本がデザインされたマンホールが設置されたのだ。地元関係者は「優勝翌日は、公園に来る人で行列ができていました」と自慢げに語る。

 

 このマンホール設置に携わったのが、山本の後援会会長で、彼が所属したリトルリーグの監督だった大饗利秀さんだ。

 

 大饗さんは2023年、メジャーに挑戦する山本の幼少期を、本誌にこう語っていた。

 

「由伸のことを初めて見たのは幼稚園の運動会だったのですが、当時から足がめちゃくちゃ速くてね。身体能力は本当に優れていました。練習態度は真面目で、とにかく野球が大好きな少年でしたね」

 

 だが今回、本誌は再び喜びの声を聞こうと大饗さんに「MVPおめでとうございます」と声をかけると、申し訳なさそうにこう答えるのだ。

 

「すみません。もう、取材はすべてお断わりしているんです。今回もものすごい数の連絡がきているんですが、対応してはいけないということで……。

 

 彼の弁護士から後援会活動を自粛してほしい、マスコミ対応もNGと言われてしまいまして……。あそこまで世界的に有名になってしまうと、大手企業とのスポンサー契約がありますから、あまり僕らが目立つとそこらに迷惑がかかるようなんです。それもあって、後援会は今年の7月に解散しました」

 

 地元はお祝いムードと思いきや、後援会はすでに解散していたというのだ。弁護士から連絡があったのは、今年7月初旬だという。山本を熱心に応援し続けてきた地元関係者が、複雑な胸中を明かす。

 

「彼は昔からスーパースターだったわけではありません。人口6000人ほどの、備前市伊部地区で生まれ育った山本選手は、宮崎県の都城高校に進み、オリックスにドラフト4位で入団。メジャーに行くまでは、“成績のわりに注目されない選手”という存在だったように思います。

 

 そんななか、幼少期のエピソードを含め、山本選手の活躍をアピールしてきたのが後援会でした。6月末には、MLBと備前市の共同で山本選手がデザインされたマンホールが設置されましたが、その除幕式に備前市長とともに後援会長の大饗さんも出席しています」

 

 備前市役所に後援会について尋ねると、「6月までは確かに後援会は存在していたのですが、現在は解散しています」と回答。そして、気になることを告げられた。

 

「記事が出るのはいつごろになるでしょうか。山本選手に関しては、取材が入ったら必ず顧問弁護士の方に報告することになっているんです」

 

 こうした顛末に、ある元MLB代理人も驚きを隠せない。

 

「選手の代理人弁護士が、選手の後援会に『あまりしゃべらないでくれ』などと要求をするということは、過去にも聞いたことがありません。選手本人が、よく取材を受けている関係者に小言を言うことくらいはあるでしょうが……」

 

 山本が在籍していた少年野球チームのスローガンは、大饗さんが考案した「すべてに感謝」。後援会なき今、山本の思いは地元ファンに届くのだろうか――。

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