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山本由伸、ドジャースMLB連覇を支えた“師匠”が明かす「独自のエクササイズ」と「40歳まで現役」の誓い

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記事投稿日:2025.11.15 12:40 最終更新日:2025.11.15 12:44
出典元: SmartFLASH
著者: 『FLASH』編集部
山本由伸、ドジャースMLB連覇を支えた“師匠”が明かす「独自のエクササイズ」と「40歳まで現役」の誓い

2025年9月、矢田修氏の指導を受ける山本由伸

 

「1年間、ずっとサポートしていただき、ありがとうございました」

 

 ワールドシリーズ(WS)での第6戦後、ドジャース山本由伸は、“師匠”への感謝の言葉で、2025年シーズンを締めくくろうとしていた。その日、6回を5安打1失点で投げ切り、要した球数は96球。勝利投手となり、シーズンを3勝3敗に戻し最終戦につなげたのだ。

 

 しかし翌日、山本に休息の場は与えられなかった。WS第7戦の試合はもつれにもつれ、9回裏途中から山本はマウンドに立った。中ゼロ日での登板は本来、ありえないことだが、その奇跡の登板を可能にしたのが、山本の体を8年間見続けた、トレーナーの矢田修氏だった。

 

「すごいのは山本君。僕は彼が天下を取るために、同じ夢を追いかけているだけなんです」

 

 と語る矢田氏と山本の出会いは、2017年5月。大阪で矢田接骨院を営んでいた矢田氏のもとに、共通の知人を介して山本が訪ねてきたのだった。

 

「僕の独特のトレーニングに興味を持ってもらったようです。なので、最初は治療ということではありませんでした。もともと、僕のところには横浜DeNAの筒香嘉智君も通っていて。筒香君は若いころからよく『メジャーに行く』と決めて日々、精進していました。そんな彼に山本君があこがれるようになったのか、2020年ころ、山本君が『僕もメジャーに行けますかね?』と聞いてきたんです。

 

 それに対して、僕は『行けますかね? というやつが向こうに行って通用するわけないやろ!』と一喝したんです。MLBで通用するには、野球の常識を変えてやる、くらいの意識がないと無理です。そのときは『わかりました』という返事で終わったんですが、しばらくして来院したときには『先生、メジャーに行きますから一緒に来てください』と、いきなりの宣言をしてきたんです。相当の覚悟を感じて、『おっしゃ、俺もどこまででもついて行ってやる』と返しました(笑)」(以下「」内は矢田氏)

 

 その宣言から、山本はメキメキと実力を上げ、2021年から3年連続で投手四冠を果たした。その礎となっていたのが、矢田氏が考案した「BCエクササイズ」だったという。このエクササイズは、自然と調和することで自律神経の働きを高め、細胞レベルから改善を目指すというもの。

 

「まずは“正しく立つ”ことが重要なんです。正しく立つことができなければ、正しく歩くことができない。正しく走れないし、正しく投げることもできない。すべてはつながっているんです。自分ではまっすぐ立っているつもりでも、ちゃんと立てていない人は多い。山本君もこの修正からでした」

 

 このエクササイズは、やり投やブリッジなどを取り入れた独特なものだという。かつて、本誌が山本にインタビューした際には、「20代前半のころ、100球以上投げたり完投したりすると、肘が張って、10日以上投げられないことが多々、ありました。でも矢田先生のトレーニングを続けるうちに、その張りがなくなりました」と、効果を実感したことを語っていた。

 

 ほかにも、筋肉トレーニングをしないこともこのエクササイズの特徴だという。

 

「簡単なことで、筋トレをやり続けると、可動域が狭くなります。そうなると、筋肉がりきむことを覚えてしまう。そんなとき、監督から『力を抜いて動け』と言われたら、どうするか。山本君は筋トレをいっさいやりませんが、オリックス時代、走力やバーベル上げなどの基礎数値はチームでトップクラスでした。それは、彼がやり続けているやり投やブリッジなどが、全身を使ってこそできるものだからです。続けたことで体は大きくなったし、若いころ悩んでいた肘の張りもなくなった。だからこそ、WSでの連投が可能になったのです」

 

 2023年、山本がポスティング移籍でメジャー行きを表明した際、矢田接骨院には複数球団のメジャー関係者が訪れたという。

 

「メジャーからしたら、それほど体が大きくない山本君が、すさまじい成績を何年もたたき出していました。いったい、どんなトレーニングをしていたのか。メジャーのスカウト陣が興味を持ってくれて、それならば『直接、話を聞いてこい』となったようです(笑)。そんななか、ドジャースだけが何度も足を運んでくれた。最初に来た際のプレゼンが腑に落ちなかったからか、もう一度来た。すると『う~ん』と徐々に理解してくれて、最後は『なるほど』と納得してくれたんです。山本君は最終的にド軍と高額な契約を結びましたが、『獲得のためにはここまでリサーチをするのか』と感心したもんです」

 

 山本のド軍入りから現在までは「あっという間でした」という。なにしろ、この2年間はハードスケジュールだったからだ。

 

「山本君との最初の取り決めで、2月からのスプリングキャンプとポストシーズン(PS)はすべて帯同しています。レギュラーシーズン中も毎月1回、必ず球場まで行きますが、それはホームで3連戦以上があるとき。長く彼の体を見ることができますからね。まあ、結構ハードですよ。

 

 WS優勝後、山本君に『あと10年がんばらんとな』と伝えたら、『僕、40歳まで投げると言いましたよね。だから、先生も一緒にお願いします』と。『俺いま66歳で、あと13年? 死んでまうど!』といった会話をして帰ってきました(笑)。帰国した次の日は、大阪で患者さんを見てましたから。人使い、荒いでしょ(笑)」

 

 最後に、2人の目標はもっと高いところにあると、矢田氏は豪語した。

 

「2人の目標は『世界一のピッチャーになる』こと。今季のテーマは、山本君の代名詞であるスプリットを活かす意味でも、低めのストレートに磨きをかけました。よくなっていますし、彼は1つの球を2年くらいでものにしてきましたから、来季はもっとすばらしい威力を発揮すると思います。僕もいい年ですから、このスケジュールは正直、しんどいです。でも、彼はまだ、発展途上の選手。あの厳しい環境のなかで、結果につながったときの喜び、楽しさといったら、これ以上のものはありません」

 

 残念ながら今季のサイ・ヤング賞の受賞はならなかったが、WSの快投を見せつけられれば、「来季こそ」と思っているファンは多いだろう。“師匠”との夢の実現は、十分に可能性を秘めている。

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