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木村和司氏、献身妻が支える「右半身不随」復活への執念!初めて明かされる日本サッカー界レジェンドの壮絶すぎるリハビリ生活

スポーツ 記事投稿日:2026.01.17 11:00 最終更新日:2026.01.17 11:00

木村和司氏、献身妻が支える「右半身不随」復活への執念!初めて明かされる日本サッカー界レジェンドの壮絶すぎるリハビリ生活

木村和司氏(左)と妻の祐子さん(写真・梅基展央)

 

 ピッチ全体を俯瞰的にとらえることができ、そこから繰り出される必殺のスルーパス。そして、多くの試合で勝敗を決定づけたフリーキック。まだ、日本代表がアジアで勝つことがままならなかった1980年代中盤、間違いなく木村和司氏は、日本サッカー界の“希望の星”だった。

 

 あれから40年あまり、久々にファンの前に姿を現した木村氏は、車いす姿だった。2025年12月11日、Jリーグの年間表彰式に当たる『Jリーグアウォーズ』が開催され、チェアマン特別賞をラモス瑠偉氏、セルジオ越後氏とともに受賞。越後氏が先頭を歩き、その後ろをラモス氏が木村氏の車いすを押して登壇したのだった。

 

 2015年にラクナ梗塞で右半身麻痺になった木村氏だが、近年の様子は報じられることもなく、それだけに木村氏の姿に驚いたファンは多かったようだ。

 

 今回、本誌はリハビリ中の木村氏をサポートする、妻の祐子さんに病状や現状を聞くことができた。

 

「2015年1月、知人に誘われて熊本でゴルフをしていたときでした。3ホールめくらいからフラフラし始めて、すぐに病院に行ったらしいんです。医師から脳梗塞と診断されましたが、結果的にはすぐに診察を受けたのがよかったようです。治療が遅くなると、麻痺が進んで顔の筋肉が落ちるんですが、それがなかったんです。

 

 入院は2カ月半ほどで、退院後、すぐにリハビリを始めて、杖をつかずに歩くこともできるようになりました。すべては『もう一度、ボールを蹴る』という目標があったからだと思います。執念にも近い気持ちが徐々に実を結び、ボールも少しずつ蹴れるようになりました。右半身に麻痺が残りましたが、その右を積極的に使っていました。お箸も、私よりうまいくらいでした(笑)」(以下「」内は祐子さん)

 

 懸命なリハビリをこなし、解説の仕事にも復帰をとげた。しかし、大きな壁となって立ちはだかったのは、“古傷”だった。

 

「現役時代から、右足首の軟骨がすり減るなど、ボロボロで足を引きずっていましたが、それがここにきて、さらに痛み出したんです。以前は周囲の筋肉がカバーして、支えていたのですが……。足首も変形し始めて、歩くのがつらくなっていったんです。ボールをもう一度、蹴りたくても、選手時代のケガがそれを邪魔して。痛みから、外に出るのも億劫になっていきました。本当にサッカーが大好きで、“サッカーだけで”きた人生ですからね」

 

 2011年に“古巣”横浜F・マリノスの監督を退いて以降、子どもから大人までのサッカー教室に尽力していた。

 

「マリーニョさん、金田喜稔さん、山田隆裕さん、そして岩本輝雄さんら、日産自動車や横浜FMで一緒だったみなさんが、サッカー教室やイベントを手伝ってくれました。感謝しかないです。ただ、主人としては『マリーニョくらいボールを蹴りたいよ』と言っていましたね。それがだんだんストレスとなり、お酒ばかり飲むようになって。気力をなくしていきました」

 

 それでも、車いすに頼る生活ではなかった。だが、2025年1月28日がすべてを変えた。

 

「広島県人会に出席し、そこでインフルエンザに感染してしまったんです。出席から3日経ち、高熱が出て。主人に『病院に行こう』と言っても『嫌だ』と。ただ、時間が経つにつれ熱が上がるだけでなく、しゃべれなくなってきました。娘が『これはおかしい』ということで、救急車を呼んだんです。診断の結果はインフルエンザで、初診のときには『帰れますよ』ということでした。しかし、あまりにもしゃべることができなくなり、様子を見るために1日、入院したんです。翌朝、病院から電話があり、すごい痙攣を起こしてしまったと。それが脳に来てしまったので、『覚悟してください』と言われました」

 

 懸命な治療と、何よりも本人の“生”への執念が勝ったのだろう。1週間ほどで回復に向かっていったという。

 

「ただ、その後、うまく言葉が発せられなくなって……。さっき言ったことを数分後には覚えておらず、字も書けなくなりました。でも、サッカーのことは覚えているんです。『昨日、日本が2-0で勝ったよね』とか、言うわけです。字は書けないけどサインは書ける。入院中に水頭症の手術をしたこともよかったのかな。以前はイライラばかりでしたが、いまはまだリハビリ中とはいえ、こんなに素直でいい子になりましたから(笑)」

 

 半年にも及んだ入院中には、ほかにもうれしいことがあった。

 

「ラモスさんがお見舞いに来てくれました。ご自身も直腸がんを患っていて、20kg近くおやせになっていたにもかかわらずです。じつは、この時点で手術も決まっていたそうですが、『カズシには言わないでね。心配するから』と。その優しさが本当にうれしかったです」

 

 現在、木村氏は自宅で療養とリハビリに努めているが、じつは祐子さんが介護しているのは1人ではなかった。「我が家には、94歳の透析をしている叔父と、75歳の脳梗塞を患っている兄もいます。老犬2匹と私はフル活動しています」と笑う。しかも「運転が大好きで気分転換になるから」と、近所の高齢者の、買い出しの送迎までやっているのだ。

 

「『なぜそこまでできるの?』と、よく聞かれるんですけどね。最初はおむつを替えるのもうまくできなくて、私もつらかったのはたしか。でも、それを嫌だと思っていたら、自分のなかではもたないと。全部受け入れて、進むしかないですよ。そうそう、じつは私のおじいちゃんの名前が『慈悲蔵』って言うんです。おじいちゃんも人の世話ばかりしていたと聞いていますし、その名前を私が受け継いだのかもしれません(笑)。それが自分の喜びになっていますから。もし私と同じ状況の方々に言えるとすれば、『いつも笑ってないと福は来ない』ということ。どんなときも人に感謝して、笑っていれば必ず福が自分に来ます!

 

 主人は監督時代、いろんなことがありすぎて、いつもイライラしていました。いまは病気になってしまいましたが、いつもニコニコしていて。ストレスもなくなったんじゃないですかね。だから、これからも二人三脚でやっていきます」

 

 インタビューがおこなわれたのは1月11日、木村氏主催の『大人のサッカー教室』でのこと。徐々に寒くなるなか、木村氏は3時間ぶっ通しで、教え子たちのプレーを追い続けていた。その真剣な表情を見たとき、聞かずにはいられなかった。

 

 本誌記者が「いまの日本代表、強いですよね?」と問いかけると、「強いよ。そう、強い!」と断言。続けて「でも、和司さんのような“真の10番”がいない」と漏らすと、「10番? そう、いないよね」とたしかに話してくれたのだ。

 

 最後に“ミスター・マリノス”が見せたプライドが、たまらなくうれしかった!

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出典元: SmartFLASH

著者: 『FLASH』編集部

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