2025年、ふたば未来学園でのイベントで、生徒たちと写真に納まる桃田(写真提供・UDN SPORTS)
東日本大震災から15年。再び立ち上がり、復興への思いを胸に歩み続けてきたアスリートたちに、競技を続ける喜び、そして重みを聞いた。
2011年3月11日。地震が発生したとき、高校1年だった桃田賢斗は武者修行に訪れていたインドネシアのコートで練習に励んでいた。
「コーチに呼ばれてテレビを見ると、仙台空港を津波が襲う映像が流れていました。これが本当に日本で起きていることなのかと、あまり理解できませんでした」
桃田は帰国後、香川県の実家に身を寄せたが、監督やチームメイトと連絡がつかず不安な日々を送った。通っていたバドミントンの強豪である富岡高校(福島県富岡町)は、福島第一原発にも近い。高校の監督が探してくれた引受先の実業団で、練習を重ねた。
「高いレベルで毎日練習をさせていただき、競技の面では充実していました。それでも富岡高校のメンバーと一緒にバドミントンができないことで、寂しさや孤独感がずっとありました」
同年5月には、猪苗代町のサテライト校で授業と練習が再開された。
「このときに、仲間と再びバドミントンをできたことが、何より嬉しかったです。僕にとって中高を過ごした富岡は、選手として大きく成長させてもらった場所です。本当に自分の競技人生にとって大事な6年間でした。辛い経験もしましたが、振り返るといい思い出ばかりです」
そう言うと、桃田は嬉しそうに話を続けた。
「富岡では2人部屋の寮生活でしたが、部屋が広くて仕切りもなかったので、ほとんど1人部屋みたいでした。それが猪苗代に行ってからは、3人で床に一緒に寝たり、消灯時間ギリギリまでいろんな話をしたり、みんなでお風呂に入って、ご飯を食べたり。すごく楽しい時間を過ごしました。
一度バラバラになってから集まったぶん、仲間意識や団結力が上がったように感じていました。このときの仲間は、今でも大切な友達です」
震災後、しばらくしてから一度だけ富岡高校に行ったことがある。練習していた体育館の照明は床に落ち、破片が散らばっていた。教室は机や椅子、教科書が散乱したまま。修復とは程遠い現実を目の当たりにし、「とにかく悲しかった」とつぶやいた。だからこそ桃田は、「福島へ恩返しがしたい」と話す。
「今の生活が当たり前ではないということや、まわりの環境への感謝など、初心を忘れてはいけないと思っています。今でも震災の影響で満足のいく生活ができていない人がたくさんいます。その人たちのために何ができるのか。一人ひとりが意識を持って生活していかなくてはいけないと思っています」
31歳になった桃田は今、NTT東日本の選手兼コーチとしてプレーを続けている。
「福島は『第二の故郷』だと思っています。今は広野町にある『ふたば未来学園』の先生と連絡を取り合い、中高生たちと練習をしています。試合に出れば観ている人に勇気を与えるプレーをしたいですし、子供たちに向けたイベントがあれば、積極的に参加したい。まだまだ競技を続けていくつもりですし、バドミントン界を盛り上げ、東北の皆さんに明るいニュースを届けられるよう頑張っていきたいです」
その思いを体現するように、2026年3月1日、バドミントンS/Jリーグのプレーオフ決勝で勝利。チームを11年ぶりの優勝へ導いてみせた。
ももたけんと
1994年生まれ 香川県三豊市出身 富岡第一中学校、富岡高校バドミントン部で活躍。2019年には国際大会で11度優勝し、世界最優秀選手に選ばれた
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