
瀬川誠さんと、当時生後9カ月の長男・虎さん(写真・本人提供)
東日本大震災から15年。再び立ち上がり、復興への思いを胸に歩み続けてきたアスリートたちに、競技を続ける喜び、そして重みを聞いた。
「優しくて、自分が正しいと思ったことは貫きとおす子に育ってくれました」
長男の虎さんについてこう話して笑みを浮かべるのは、ベガルタ仙台の元選手で、現在は同クラブから派遣されて仙台大学サッカー部コーチを務める瀬川誠さんだ。虎さんは、地震が起きた37分後に生まれた。
「3月10日の夜11時すぎから妻の陣痛が始まり、仙台市内の病院に向かいました。そのまま入院となり、僕も一緒に泊まりました。初産の妻は気を失いそうになりながらも、待機室で出産を待っていました。そのときです」
立っていられないほどの激しい揺れが襲い、分娩室のベッドや手術道具は倒れ、天井からはダクトが落ちてきた。
「それでも、妻の状態を医師や看護師の皆さんに伝えると、『やるしかない』ということになり、受付の壁に簡易ベッドを設置しました。看護師さんが懐中電灯で照らすなか、僕が妻を羽交い締めするように支えながら、簡易的な器具でなんとか出産しました。子供は生まれても泣かないし、へその緒はついたままだし、喜ぶ余裕はありませんでした」
病院で3泊ほどした後、自宅に戻った。出産後に身を寄せる予定だった妻の実家は、住める状態ではなかった。両親や、家に被害を受けた友人たちが瀬川さん宅に身を寄せ、集団生活を送ることになった。
「当時は、配給所に並べば、一家族3品まで物資をもらうことができました。友人たちは、そのなかのひとつを僕の子供のためのオムツにしてくれました。当時のベガルタの手倉森誠監督も当日に食べ物を届けてくれました。本当に感謝しかなかったです」
約1カ月後、まだガスも通らないなか、クラブは地元のために動き出した。瀬川さんもスタジアムに届いた物資を運んだり、泥だらけだった地域の体育館を片づけたりした。
「このときも、ベガルタから仙台大にコーチとして派遣されていました。集まれる人だけで練習を再開すると、津波で父親を亡くしたある学生が『自分が今やるべきことはサッカーだ』と話すんです。
そのとき、サッカーをさせてもらっていることの重みを感じました。そして指導者として、自分の持っているものを出し切ろうと思ったんです」
この学生は仙台大を卒業後、Jリーグに入り、今も現役で活躍している。瀬川さんはほかにも多くのJリーガーを育て、今季の開幕戦では岩渕弘人(28)、古屋歩夢(18)がベガルタの2トップを飾った。
「自分が送り出した選手がJリーガーとして活躍してくれるのは、本当に嬉しいです。これからも、一人でも多くの教え子を育てていきたいと思います」
毎年、震災の日が近づくと、瀬川さんはまわりへの感謝や家族への思いを新たにし、自分が丁寧に生きているかを立ち止まって考えるという。
せがわまこと
1974年生まれ 宮城県栗原市出身 1993年、横浜フリューゲルス入団。福島FCを経て1998〜2001年、ベガルタ仙台。2001年の引退後はベガルタ仙台アカデミーコーチ
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