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二宮敦人が見た「日体大相撲部」男の肌に突っ込んでいくの嫌じゃない?
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.05.13 11:00 最終更新日:2018.05.13 11:00
十両力士による付け人への暴行が発覚するなど、相変わらず土俵外の話題に事欠かない大相撲。しかしそんな角界とは一線を画す、爽やかな世界がそこにはあった。日常に潜む不思議を暴く作家・二宮敦人最新ルポ!
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そもそも、限りなく全裸に近い男同士がぶつかり合って、何が面白いのだろうか。
相手が異性ならまだわからなくもないが、こう言ってはなんだが、むさ苦しい男同士である。汗もかくし、体毛が濃い奴もいる。そこに思いっきり飛び込んでいくなんて、できれば避けて通りたい。
そういう意味で、大学相撲は僕にとっては不思議な世界だった。大相撲はぎりぎり、まだわかる。あれはお仕事だからだ。人間、食べていくには苦難に耐えねばならぬ時もあろう。
しかし大学相撲は、要するに部活。好き好んで限りなく全裸の男に突っ込み続けているのだ。いったい何が、彼らをそうさせるのだろう?
日本体育大学の校舎は大変近代的で美しいビルだが、ある扉を開くと忽然と土俵が現われる、なかなかシュールな場所でもある。
入ってすぐ左手には厨房があり、「料理長」と呼ばれるちゃんこ係が腕を振るう。廊下を進むと床が土に変わり、土俵が3つも並んでいる。相撲部屋としても十分やっていけそうな、充実した設備だ。
朝の10時に到着すると、すでにまわしを締めた学生たちが30人ほど、準備体操を終え、塩をまいて土俵を清めていた。やがて監督でもあり、日体大の教授でもある齋藤一雄先生が現われ、彼が見つめる前で申し合い稽古が始まる。
「前、前、前! 前に出ろ、もっと! 下がるな」
三つの土俵をフルに使い、激しい戦いが繰り広げられる。じっと見つめ合った後、勢いよく衝突する男たち。ばちんと肌がぶつかる音がして、汗がはじけ飛ぶ。耳の上についていた白いテーピングがはらりと落ちた。取組が終わり、手が空いている者が拾って脇に置いた時、赤い血が付着しているのが見えた。
「右脇を締めるんだ、もっと。そう。おい、ダメ! そんな勝ち方、試合じゃ通用しないぞ。全然ダメ。おう、今のはよかった。今の調子でいけ」
齋藤先生は3つの土俵を同時に眺め、繰り広げられる3つの戦いに別々の指示を出していく。負けても褒める時もあれば、勝ってもダメと言う時もある。
「これが自分への指示で、これは違う人への指示だってわかるものですか」
「あ、はい。それはわかりますね。やっぱりちゃんと見られてるので」
学生たちは頷く。
私語などはなく、時折かけ声が響くばかり。そこに齋藤先生の鋭い指摘が飛ぶ。稽古場は静謐な緊張感に包まれていた。興味深いのは、軽量級専用の土俵があることだ。学生相撲には体重別の大会があり、そのなかには65キロ未満級なんてのもある。
ほとんど僕と背格好の変わらないような学生が、しかし機敏さを生かして土俵の中を駆け回り、まわしを奪い合っている。ほとんどレスリングのようでもあり、霊長類同士の喧嘩にも見えた。と、一人が取っ組み合いの末に土俵から転がり出て、地に伏した。そのまま起き上がらない。
「大丈夫だ。それより、次! 集中!」
齋藤先生の厳しい声。学生たちは彼を遠巻きにうかがいながらも、稽古を続ける。倒れた彼は痛みに耐えながら、やがてよろよろと立ち上がって列に戻っていく。
一人、中央の土俵で連勝を続けている赤ら顔の学生がいた。強面で、特に相手を正面から睨みつけている時など、まるで鬼瓦のようである。主将の西大星さんだ。だが何人もを相手にするうち、さすがに彼の息も上がってきた。ぜえぜえと肩で呼吸をし、苦しそうに顔を歪ませる。見ているこちらの息が詰まりそうだ。
いつの間にか僕は前のめりになり、食い入るように男たちの戦いを見つめていた。相撲とはこんなに鬼気迫り、夢中で見てしまうようなものだっただろうか。プロ野球と高校野球の違いとでもいおうか、そこには学生ならではの清々しさがあり、僕は初めて相撲取りを心の中で応援していた。
西さんが指示に対して返事をするのも厳しくなり、取組の間隔が空き始めた時、冷たい声が響いた。
「おう、西ぃ。できんのか。できんのなら、出てろ」
「……ハイ」
主将は土俵から下りた。やや項垂れているように、僕には見えた。
部活といっても練習は厳しい。聞けば寮があり、みな住み込みで共同生活をしているという。親方を監督に置き換えただけで、ほとんどここは相撲部屋なのではないかと、僕は思った。
そんな僕の眼鏡違いは、ほどなくして発覚する。
「一切ないっす!」
理不尽なことなんかはありますか、との質問に対して、西さんは即答した。
「楽しくてやってますんで。齋藤先生は本当に凄い先生だと思います。尊敬しています」
練習が終わり、僕たちはちゃんこをご馳走になっていた。西さんもさっぱりした表情だ。何か話しかけるたびにわざわざ昼食の食器を置き、僕の目を見て答えてくれる。
「でも、男の肌に突っ込んでいくのって、嫌じゃないですか」
「ええ、まあ、そりゃ嫌ですけど」
西さんはちょっと笑った。
「毛深かったり、汗をかいてたりしたら余計に嫌じゃないですか」
「そうですね。嫌ですね。汗で滑ると、怪我にも繋がりますので」
よかった。それがたまらないんです、などと言われたら、うまく原稿にする自信がなかった。
「それでも楽しいというのは、どういうところなんですか?」
「そうですね。いや、痛いのは嫌ですし、負けると悔しいんですけれど。やっぱり、勝負が早い、一瞬で決まるところ。あとはこう、ぶつかる感じが好きですね」
競技として面白いというのだ。
「やめたいと思ったことはないんですか」
「あ、それはいっぱいあります」
西さんは素直にこくりと頷く。
「小学校の時は毎週土日が練習でしたから。しかも毎回泣かされるんですよ、厳しくて。遊びたいのに遊ぶこともできなくて、嫌でしたね」
西さんが相撲を始めたのは四歳の時から。幼稚園ですでに40キロの巨漢だった彼は、町の相撲大会などに参加するようになり、やがて相撲道場に入れられたのだという。
「でも、餌に釣られてただけです。勝てば両親にゲームを買ってもらえたので。最初の相撲大会も、3人抜けばお菓子がもらえるとかで」
「それからずっと続けてるんですよね?」
「はい。やっぱり、面白かったんで……」
遊びたくても、泣かされても、それでもハマってしまったようだ。
「それに、ここでやめたら、負けた気になるじゃないですか。しんどいからやめるのって、ダサいっていうか。自分で決めたことなので、最後まで貫きたいんです」
ぼそり、ぼそりと話す彼だが、そこにはとても前向きな相撲への姿勢があった。
「やっぱり本人のやる気、やりたいっていう気持ちが大事ですね。ここにいる子はみんな、相撲をやりたいと思って来てくれています」
監督の齋藤先生は、稽古中とは打って変わってにこやかな表情だ。齋藤先生もかつてはアマチュア横綱にのぼりつめ、全国優勝を果たした名選手。西さん同様、中高一貫校で青春を相撲漬けで過ごした経験を持つ。高校3年生の時、部内では中3にのちの若乃花、中1にのちの貴乃花がいたそうだ。
「きつくて、嫌でしたよ。上下関係も厳しいしね。時間的拘束も長い。朝の6時半に起きて練習に行って、帰ってくるのは夜の10時くらい、それが毎日ですから。休みは月に1日、あるかないか」
今でこそ、相撲のおかげで育ててもらったと言えますけれど、と齋藤先生は微笑んで首を傾げた。
「私の指導はね、自分が選手の時に嫌だったことをやらずに、こうであってほしかったということを、やっているだけなんです。だから無理もさせません、怪我しちゃうから。
さっき倒れてしばらく動かなかった子がいたでしょう。あれもね、私は医学博士も持ってますんで、本当にダメなのか、大丈夫なのか、わかる。だからみんな安心して稽古ができるんです」
「では、息が上がってる西さんを途中でやめさせたのも……」
「はい、うちは休憩は自由にさせます。自分の判断で無理だと思ったら土俵から出てもらうんです。呼吸を落ち着けて、また参加すればいい。心が折れた状態でやっても、危ないですからね」
聞けば、西さんは喘息持ちなのだという。そんな彼が主将として思いっきり戦えるのも、齋藤先生が常に気を配っているからのようだ。
「勝ちには2種類あるんです。自分の勝ちと、相手の負けです。相手がミスをして勝っただけなのに褒めてはいけないし、たとえ負けたとしても良い方に向かっているのなら評価する。そうして納得してもらって、どうやったら勝てるのか、自分に何が必要か、知ってもらうんです」
齋藤先生の指導方法によって日体大は成績を伸ばし、結果を出した学生も多い。 厳しく見えた稽古も、実は合理的かつ、生徒の気持ちを尊重したものだったのだ。そこには師弟の絆があった。
「相撲をやってくれた学生には幸せになってほしいんです。相撲を通して何か、人生に価値あるものを得てほしいですね」
齋藤先生は子供のようにきらきら光る目で言う。
「そして、大相撲はみんなの憧れであってほしい」
二宮敦人(にのみやあつと)
1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は桜を見上げて君を想う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに。
(週刊FLASH 2018年4月10日号)