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所属チームなしの中村敬斗、身長が足りず昇格ピンチだった鈴木彩艶……挫折から這い上がった森保ジャパン “雑草軍団” の原点

スポーツ 記事投稿日:2026.05.28 15:50 最終更新日:2026.05.28 15:50

所属チームなしの中村敬斗、身長が足りず昇格ピンチだった鈴木彩艶……挫折から這い上がった森保ジャパン “雑草軍団” の原点

中村敬斗。2015年、高円宮杯を戦ったチームメイトと。「(中村は)今でも気分を上げたいときに、養和の試合動画を観ているそうです」(生方さん、写真提供・三菱養和サッカースクール)

 

<MF・中村敬斗>

 

▪︎所属チームなしから “縁” で滑り込み

 

「敬斗が小6のときに、当時、養和にいた選手から『地元でチームを探しているコがいて見てもらえませんか』と相談されて、練習に呼んだのがきっかけです。スカウトではありません。第一印象は、線が細くて笑顔がかわいい少年でした」

 

 日本代表の攻撃の軸・中村敬斗(25・Sランス所属)が中学1年から5年間所属した、東京・巣鴨にある三菱養和サッカースクールの生方修司チーフコーチは、出会いをこう振り返った。練習に参加させてみると、中村の印象は一瞬で変わったという。

 

「学年が上のコたちとミニゲームをやらせたら、ボールタッチが柔らかくドリブルがうまい。体格が上のコに吹っ飛ばされても果敢に挑んでいく。これはいい選手だから絶対に獲りたいと思って、『セレクションを受けてください』と親御さんに伝えました」

 

 無名の少年が、代表にまで選ばれた武器がこのドリブルと、正確無比なシュートだ。

 

「敬斗はとにかく練習の虫。練習が終わるとグラウンドにあるシュート板まで走って行って、練習をしていました。当時、なんでそんな細い足で強いシュートが打てるのか不思議だったんです。

 

 あるとき親御さんに聞いてみたら、家でピンポン玉を蹴って練習をしていたと。インステップでボールの芯を正確に蹴ることができるのは、努力の賜物なんです」(生方さん)

 

 生方さんにとって忘れられないのが2015年の高円宮杯U−15。悲願の全国大会1回戦で、0対1で負けた試合だという。

 

「グラウンドがガタガタだった影響もあってか、得意の角度のシュートを外したらしいんです。それが悔しかったらしく、試合直後に『これから戻って練習したいんで、グラウンドあいてますか』と電話してきたんですよ。失敗したり、納得がいかないことはその日のうちに練習しないと気がすまないんです」(同前)

 

 中村といえば、試合中にソックスをルーズに下ろしたスタイルが有名だ。

 

「あれを見たとき、すぐ連絡して『だらしないし、危ないからやめろ』と叱ったんです。そうしたら本人が、『違うんです。ソックスを下げないと圧迫で足がつっちゃうんです』と明かしてくれて。いろいろ試したそうなんですが効果がなく、下げないと90分プレーできないと話してました」(同前)

 

 中村は中学1年のころから「サッカーノート」を書いていた。生方さんは笑みを浮かべてこう懐かしむ。

 

「U−16代表に入る、ワールドカップに出場するとか、何歳でどうすると細かく書いてあるんです。そのときは『こんな予定どおりにいかないのが人生だからな』なんて言ったんですが、予定より早く実現してるんですよ。最終目標は『W杯優勝』。ことごとく私の予想を上回ってきた男なので、ワールドカップでも点を決めてくれると思っています」

 

<GK・鈴木彩艶>

 

▪︎身長が足りず “昇格の危機”

 

 浦和レッズジュニアの一期生である鈴木彩艶(ざいおん・23/パルマ)は、中学2年で身長は170cmを超えていた。ところが、クラブがデータを取ると、将来身長は伸び悩み、最終的に180cmに届くかどうかの微妙な結果が出た。GKは身長190cmが基準になっている昨今、鈴木をユースに昇格させるか育成部で議論があったという。そのときに「続けて育てるべきだ」と昇格に尽力したのが、杉尾一憲GKコーチだった。

 

「シュートを止める能力、後方からの指示、足元の技術と、GKとしてトータル的にやらなければいけないことが、あの年齢でできていましたから」

 

 杉尾さんが惚れ込んだのはプレー面だけではなかった。

 

「鈴木家には『自分のことは自分でやる』という約束事があるようなんですが、それを完璧にこなしていました。また、自分のこと以外に仲間のことやチームのことにまで気配り、目配りできている。

 

 レッズは人としてしっかりサッカーに向き合うとか、健全な青少年の育成を大事にしているんですが、彼への指導はほぼなかったですね。言わなくてもできたし、『彼を見なさい』と周囲に何度も言いました。お手本になってもらっていた感じです。

 

 GKとしての能力もすごかったけど、人間的にも図抜けていました。中学生で自己分析ができるばかりか、努力の天才でもありましたから。彼を指導した4年間は僕にとっては幸せな時間だった。彼から学ぶことのほうが多かったですね(笑)」(同前)

 

<FW・上田綺世>

 

▪︎守備をサボって仲間からブーイング

 

 欧州主要リーグであるオランダ・エールディビジで今季、日本人初の得点王に輝いた上田綺世(あやせ・27/フェイエノールト)だが、けっして順風満帆のサッカー人生を歩んできたわけではない。

 

 中学3年間を鹿島アントラーズの下部組織で過ごすも、ユースに昇格できずに鹿島学園高校へ進学したのだ。

 

 同校で、上田を指導した鈴木雅人監督が述懐する。

 

「その悔しさはあったと思いますが、態度に出さずに『見ていろよ!』といった姿勢でプレーしていました。

 

 最初の2年間も悪くはなかったけど、体ができていなかった。でも、3年生でビックリするほど体が大きくなると、スピードもパワーも格段に進歩しました。ここからは手のつけられない選手になりました」

 

 勝負強さは図抜けていた。インターハイや高校サッカー選手権予選で、全国に導くゴールを決めるのはいつも上田だった。

 

 ゆえに、守備をおろそかにすることが多くあったという。

 

「まわりから『もっと守備をしてくれよ!』といった声があったことは確かです。守備が不得手というより、『しなかった』という言葉が適切でしょう(笑)。

 

 ほかの選手には『こいつは点を取ることが仕事だから』と、私から暗に伝えました。

 

 もちろん、本人には『(守備をしないなら)点を取って結果を出せ』と言い続け、そのとおりになりました。

 

 怪我なく初戦のピッチに立ってもらいたいのはもちろんですが、W杯が飛躍の場になってほしいと思っています」(同前)

 

<MF・佐野海舟>

 

▪︎味方に “頼りすぎ” の無名中学生

 

 サッカーが盛んな岡山県で、中学時代の佐野海舟(25/マインツ)は、県選抜の練習会に入ったり外れたりといった存在だった。

 

「でも、実際に練習会で見てみると、その印象は大きく変わりました」と語るのは、佐野が進学した鳥取・米子北高校の城市徳之総監督だ。

 

「練習会では攻めでアピールするコが多い。ところが彼は、守備で目立つわけです。対人に強く、ボールを奪うところは、中学生にしてはすごく上手だと感心しました」(城市さん)

 

 佐野を指導したい気持ちは強まり、ボランチ(守備的MF)としてさらなる飛躍をサポートしたいとも感じた。

 

「中学での彼は、ボールを奪うとまわりのうまいコにすぐ渡して展開するプレースタイルでした。ボランチとしてはそれも大切ですが、今後を考えると物足りませんでした。

 

 米子北はロングボールを多用する前に速いサッカーを志していたので、海舟にはショートパスだけではなく、トップに長く速いボールを当てたり、サイドチェンジを要求しました。ときには自らドリブルで前に運んでいくことも。それをふだんの練習から要求したことで、高校の3年間ではプレーの選択肢がずいぶん増えたと思います。

 

 あと、ボランチでも点を取ることを常に意識しろと要求しましたね。

 

 今、世界を舞台にあのころに要求したプレーを続けてくれていることを、とても喜んでいます」(同前)

 

<MF・鈴木唯人>

 

▪︎引っ込み思案なチームの“3番手”

 

 日本代表MF鈴木唯人(ゆいと・24/フライブルク)と、FW小川航基(28/NECナイメヘン)が育ったのが、神奈川県にある大豆戸(まめど)FCだ。同クラブの末本亮太代表と2人を指導した西川出理事、鈴木清文元コーチに話を聞いた。

 

 鈴木が同クラブに入ったのは、小学1年の終わりころ。葉山町に住んでおり、母親が車で1時間ほどかけて送迎をして練習に参加していた。

 

「すごく元気な学年でしたが、唯人は一歩外側から見ている寡黙なコだったイメージです。足が速かったので、スピードに乗ったドリブル突破からのシュートが持ち味で、幾度となくそれを見せてくれました。ちょっと当たりには弱かったですが……」(西川さん)

 

 得意なリフティングを練習の合間によくやっていたのが印象に残っているという。

 

「ただ、当時は同じ学年でヴェルディに行ったコと横浜の強豪クラブに移ったコがいて、その2人のほうがチームで目立っていました」(同前)

 

 鈴木はその後、マリノスプライマリー追浜に入団。だが、ジュニアユースへ昇格できず、地元の葉山中学のサッカー部でプレーすることに。

 

「唯人が昇格できなかったのは驚きました。技術があって能力は高かったし……小2当時から、両足で遜色なくプレーできましたからね」(西川さん)

 

 挫折を糧に、鈴木は中学で神奈川県選抜に入るまでに成長。千葉・市立船橋高校に進み、才能を開花させた。

 

<FW・小川航基>

 

▪︎Jクラブセレクション落ちのぽっちゃりさん

 

 小学6年でJクラブのセレクションに落ち、大豆戸に合格したのが小川だ。

 

「(体型が)ぽっちゃりしてたんですよ。でも、中学でぽっちゃりは、絶対に(身長が)伸びるという僕らの仮説があって。これだけ技術があってうまかったら合格だろうと、一発で合格にしました。その後のお母さんの練習後の補食がすばらしかったです。太りやすい体質を考え、白米ではなく胚芽米やビタミン米でおにぎりを作ってきていました。きっと、その成果が出たのだと思います」(末本さん)

 

小学6年でJクラブのセレクションに落ち、大豆戸に合格したのが小川だ。

 

「(体型が)ぽっちゃりしてたんですよ。でも、中学でぽっちゃりは、絶対に(身長が)伸びるという僕らの仮説があって。これだけ技術があってうまかったら合格だろうと、一発で合格にしました。その後のお母さんの練習後の補食がすばらしかったです。太りやすい体質を考え、白米ではなく胚芽米やビタミン米でおにぎりを作ってきていました。きっと、その成果が出たのだと思います」(末本さん)

 

 中学2年時に担当した鈴木さんは、小川のゴールを量産する能力をこう語る。

 

「(練習で借りている)グラウンドが狭かったので、ハーフコートより狭いサイズで少人数の練習をしました。フルコートのゲームよりもゴール前の攻守の回数が増えるので、そのなかで得点能力を磨いていったと思います。2011年の高円宮杯神奈川県大会決勝では、サイドハーフでの出場ながら、小川がハットトリックを達成して3対1で優勝しました」

 

 末本さんもこう続ける。

 

「ただ、それ以上に僕が思うのは、彼の人間力の高さ。うちのクラブはサッカーに全振りではなく、運動会や宝探しイベントなどもやるんです。そこに全力で取り組んでくれるのが小川なんです。後輩たちの面倒見もよく、徒競走でも全力ダッシュ(笑)。クラブの卒業セレモニーにも顔を出してくれました。もう、後輩たちの憧れの存在です」

 

写真・桑原 靖、木村哲夫

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出典元: 週刊FLASH 2026年6月9日・16日合併号

著者: 『FLASH』編集部

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