スポーツ
蹴球・サッカー・フットボール…日本で用語統一されなかった理由
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.05.26 11:00 最終更新日:2018.05.26 11:00
なぜ日本では〈蹴球〉〈サッカー〉〈フットボール〉と混用が続き、呼称曖昧のままできたのか。これは、枝葉末節のテーマにしておくわけにはいかない難題である。
〈日本サッカー協会〉が正式名称なら、JFA(Japan Football Association)ではなくJSA(Japan Soccer Association)じゃないのかと、少なからぬ人たちが不思議に思っている。
「サッカー」呼称が一般的なのは楕円球使用のフットボールが盛んなアメリカ、カナダ、オーストラリア、南アフリカ、ナミビア。あとは、ゲーリック・フットボールが国技のアイルランド(英国直接統治下の北アイルランド6州を除く)くらいのものだろう。
これら「サッカー・ネーション」の中でもカナダ(Canadian Soccer Association)とアメリカ(United States Soccer Federation)だけは連盟の名前にサッカーを使用しており、少数派中の少数派なのだが、やるせないようなマイナー感も漂う。
しかし、いちいちサッカーを「フットボール」と神経質に言い換えるのもくたびれる話だ。
最高峰の写真集『FOOTBALL days』(Mitchell Beazley社、2003年)で知られる写真家ピーター・ロビンソンに 「本場イングランドで『サッカー』は仮死語ですか 」と尋ねてみたことがある。
そこでの返答は、「イングランドではスノッブな広告関係者がサッカーと言いたがる」。ええっ、母国じゃ「サッカー」、そういう位置づけなんですかと己の不明を恥じてしまった。
日常会話での「フットボール」はどこかキザったらしく、スノビッシュな印象を与えてしまう。しずかな混乱は今も続くどころか未来永劫続いて行きそうだ。
日本にいくつかある専門誌の誌名においても、サッカー派とフットボール派とでほぼ二分されている。
この〈呼称曖昧問題〉では、「野球」のような和製漢語の定着がなかったことに着目すべきである。またなにゆえに「蹴球」は先細ったのか……。
ベースボールを直訳の「底球」にしてしまっては、テニスの「庭球」と同音異義語になる。そう考えて「野球」を思いついたのは教育家・中馬庚(ちゅうまんかのえ)、1894(明治27)年のことである。
近代文学の祖・正岡子規が、本名の升(のぼる)にちなんで「野球(のぼーる)」を雅号の一つにしたという説もよく知られている。文学と野球の相互浸透に熱中した子規は「打者」「走者」「四球」「直球」「飛球」などの翻訳も試み、2002年に野球殿堂入りを果たしている。ベースボールの「球戯」訳は空振りに終わったが。
サッカーが外来語のままでいる理由は、1948(昭和23)年に「蹴(球)」の字が当用漢字1850字から外れてしまったことも大きい。
減らすことを決めたのは、山本有三が当用漢字主査委員長を務めていた国語審議会である。山本は、小説『路傍の石』(1937年)や数々の戯曲で知られた大物作家で、戦後は貴族院勅選議員と参議院議員を務めた。
〈国語国字問題〉が顕在化した戦後体制では漢字減らしが急がれた。活字鋳造コストの問題が大きくからんでいたからだ。そしてついに「蹴」の字は〈当用漢字表〉という名のピッチから追い出されてしまう。
ならば「フットボールでGO!」と各新聞社で統一しようにも、接収された明治神宮外苑競技場(のちの国立霞ヶ丘競技場)からしてナイル・キニック・スタジアムに改名中。海軍パイロットに志願後事故死したという、そのアメフトの英雄の名を知る日本人は皆無に等しい。
だが、公権力を持つ連合国軍総司令部(GHQ/SCAP)の意識に「アメリカン・フットボール」が大きな地位を占めているとなれば、もはや選択肢は一つしかない。「サッカーでGO!」となった背景には、そんな占領下ならではの事情があったと思われる。
※
以上、佐山一郎氏の新刊『日本サッカー辛航紀 愛と憎しみの100年史』(光文社新書)を元に構成しました。「日本社会」において「サッカー」とはいったい何だったのか。1921年の第1回「天皇杯」から、2018年のロシアワールドカップ出場までおおよそ一世紀を、貴重な文献と著者自身の視点で振り返ります。