スポーツ
元横綱「輪島大士さん」本誌創刊号でプロレスに意欲を
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.09 15:28 最終更新日:2018.10.09 15:28
「ハダカでコケた分は、ハダカで取り返す。まぁ、見ていてください」と、本誌創刊号(1986年11月19日号)で、全日本プロレスへの挑戦に意欲を燃やしていたのは、亡くなった輪島大士(本名・輪島博)さんだ。
輪島さんのプロレスデビュー戦は、全盛期のアントニオ猪木も手こずった「インドの狂虎」タイガー・ジェット・シン。
海外修行中に左手首を痛めた輪島さんは、必殺技「ゴールデン・アーム・ボンバー」を放てず、5分55秒、場外乱闘で引き分けとなった。
輪島さんは、1948年1月11日、石川県七尾市で生まれた。日大時代に2年連続で学生横綱となり、花籠部屋に入門。1973年、横綱に昇進した。
左下手投げなどが巧みで、「黄金の左」と呼ばれた取り口で14回の優勝を飾る。横綱時代は北の湖としのぎを削り、「輪湖(りんこ)時代」を築いた。
1981年に引退し、花籠部屋を継承するも、1985年に年寄名跡を担保に借金したことで、日本相撲協会を離れることになる。
その借金を返すために挑戦したのが、冒頭でふれたプロレスへの参戦だったのだ。デビュー戦は故郷・七尾市で行われたが、残念ながら初戦を飾ることはできなかった。
当時、息子のプロレス・デビューを観戦した母の乙女さんは、「ゼロからやり直すというのは、地獄から這い上がるみたいに大変だったろうに……」と涙を流したという。
輪島さんは、1988年にはプロレスも引退し、アメフト監督、タレントなどで活躍。
2013年、咽頭ガンの手術を受け、発声が困難な状況になった。2015年に北の湖前理事長が死去した際は、文書で「俺はもう少し頑張る。よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」と弔いの言葉を贈っていた。
大相撲のトップに上り詰め、その後、借金地獄から這い上がった輪島さんだが、ガンには勝てず、10月8日に死去した。70歳だった。