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JRA通算4000勝を達成した「武豊」が語る、最強の牡馬10頭
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.20 06:00 最終更新日:2018.10.20 06:00
9月29日にJRA通算4000勝の偉業を達成した天才ジョッキー・武豊。その獲得賞金は約830億円にのぼる。
「昨日より今日、今日より明日、少しでもうまいジョッキーになっていたい」
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デビューから向上心を宣言しつづけてきた男の横には、いつも強い馬たちがいた。スーパークリーク、メジロマックイーン、オグリキャップ、スペシャルウィーク、ウオッカ、ディープインパクト、キタサンブラック……。
怪物伝説を築いた牡の「スーパーホース」たちを、武のコメント付きで紹介する!
●オグリキャップ
日本中を沸かせた「芦毛の怪物」と、「天才ジョッキー」の黄金タッグが実現したのは、わずか2度だけ(ともに1990年)。初タッグを組んだ安田記念と、今なお伝説として語り継がれている奇跡のラストラン、有馬記念だ。
「初めて調教に乗ったとき、これまで見たことがないほどの数のテレビカメラがずらっと並んでいて……。誰か有名人が来ているのかと思った。
なぜ勝てたのか? 理由はオグリキャップだったから、としか言いようがありません」」(武・以下同)
ゴールした瞬間、拳を握りしめたオジサンたちがぼろぼろと涙をこぼす姿が印象的だった。
(通算2勝/安田記念、有馬記念)
●キズナ
東日本大震災からの復興を祈ると同時に、人との繫がりを大切にしたいという思いをこめて名づけられた。5度めの落馬骨折の影響で思うような結果が残せず、負のスパイラルに陥っていた武にとっても、この馬との出逢いが復活の狼煙となった。
2013年の日本ダービー。府中の杜にこだました13万を超える人のユタカコール。
「みんなの喜んでいる顔が本当に嬉しくて。こんなにたくさんの人が待ってくれていたのかと思った瞬間、喜びが2倍にも3倍にもなりました」
(通算4勝/毎日杯、京都新聞杯、日本ダービー、産経大阪杯)
●サイレンススズカ
同じメンバーで10回走ったら、10回とも違う結果になるのが競馬。しかし、それでもファンは、「武のパートナーで最強はどの馬だったのか」を熱く語る。そんなとき、必ず出てくるのがサイレンススズカだ。
「比べることに意味はないと思います。でも、今日の競馬ができたら、世界中のどんな馬が相手でも負けない。そう思わせてくれたのが、金鯱賞(1998年)で勝ったサイレンススズカの走りでした。あの衝撃は、今でも忘れることができませんね」
(通算5勝/バレンタインS、中山記念、小倉大賞典、金鯱賞、毎日王冠)
●スペシャルウィーク
「騎手を目指していたころから『ダービージョッキー』が夢だった」という武に1998年、初の冠をプレゼントしたのが、このスペシャルウィークだ。
歓喜、熱狂、抑えきれない感情。何度も撥ね返されてきた高い壁だけに、それを成し遂げた瞬間、喜びが爆発した。
「最後の直線で鞭を落としたり、何度もガッツポーツを繰り返したり。振り返ると、全然、冷静じゃなかったですね。ゴールした瞬間は、やった! と叫びたいほど嬉しかったです」
栄光を摑んだその日の夜、武は親しい友人たちに囲まれ、朝まで美酒に酔いしれた。
(通算9勝/3歳新馬、きさらぎ賞、弥生賞、日本ダービー、京都新聞杯、阪神大賞典、天皇賞・春、天皇賞・秋、ジャパンC)
●キタサンブラック
演歌界の大御所・サブちゃん(北島三郎)と武が夢の合体ーー。その媒介役を務めたのが、平成の世に最後の伝説を刻んだキタサンブラックだ。
表彰式では「顔がさぁ〜、俺にそっくりなんだよなぁ〜」と笑み崩れるサブちゃんの横で、すっとした姿勢で立つ武。
「いつか、彼の仔に乗ってまたGIレースを勝ちたいですね。それが、僕の今の夢です」。
「これが競馬の祭りだよぉ〜」というサブちゃんの豪快な歌声がもう一度、競馬場に響き渡るその日まで、武の騎手人生は終わらない。
(通算7勝/天皇賞・春2回、京都大賞典、ジャパンC、大阪杯、天皇賞・秋、有馬記念)
●スーパークリーク
デビュー1年めに69勝を挙げて、早くもスター街道を驀進した武。その頂を極めるGIのタイトルを獲るのは容易ではなかった。GIを勝つ馬というのはどんな馬なのか? そんなときに出逢ったのが、このスーパークリークだ。
「初めてのGI制覇。これ以降、強い馬、GIを勝てる力がある馬なのかどうかを見極めるとき、このスーパークリークが基準になっています。すべてのきっかけは、彼との出逢いから始まったと言っても言いすぎではありません」
(通算7勝/すみれ賞、菊花賞、京都大賞典、天皇賞・秋、産経大阪杯、天皇賞・春、京都大賞典)
●バンブーメモリー
騎乗前、調教師に向かって「先生、お願いします」と一礼するのが武のルール。これは、「馬乗りはうまいだけじゃだめだ。誰からも愛される騎手になりなさい」という、今は亡き師・武田作十郎調教師の教え。
そして、1990年のスプリンターズステークスに勝利した日、武の前に立っていたのは、バンブーメモリーを管理する、父・武邦彦調教師。
「競馬場では調教師と騎手。きちんと一礼しました。ただ、ちょっとお互い照れくさかったんですけどね(笑)」。
(通算5勝/3歳未勝利、4歳400万下、道頓堀S、高松宮杯、スプリンターズS)
●メジロマックイーン
「メジロティターンの仔で天皇賞を勝って、悲願である『天皇賞父子三代制覇』を成し遂げてほしい」というメジロ牧場の大オーナー・北野豊吉氏の遺言により、武がコンビを組むことになったメジロマックイーン。
「いいレースをしてほしい」ではなく、「勝ってくれ」という強烈なメッセージ。心臓に毛が生えているといわれた武の表情も、さすがに緊張で強張っていた。
「勝った瞬間、嬉しさよりもプロのジョッキーとしていい仕事ができたと、ほっと胸を撫で下ろしましたよ」
(通算8勝/阪神大賞典2回、天皇賞・春2回、京都大賞典2回、産経大阪杯、宝塚記念)
●タニノギムレット
落馬事故による骨盤骨折(2002年2月)の大怪我からわずか2カ月。奇跡の復活を遂げた武は、日本、シンガポール、フランスと世界の競馬場を駆け抜け、タニノギムレットが待つ日本ダービーの大舞台に帰ってきた。
「入院して最初の一週間は、数分おきに襲ってくる激痛のために、なかなか寝ることができなくて……。自分でも、よく間に合ったと思いますよ。
あれが、3度めの日本ダービー制覇だったんです。表彰式で、小泉純一郎総理(当時)からかけていただいた『おめでとう!』という言葉は、今でも僕の宝物ですね」
(通算3勝/シンザン記念、アーリントンC、日本ダービー)
●ディープインパクト
長い歴史を持つJRAにあって、一度も敗れることなく三冠を達成したのは、「皇帝」と称されたシンボリルドルフと、ディープインパクトのみ。その衝撃の走りにファンは度肝を抜かれた。
「初めて逢ったときは、小さくてかわいらしい顔をしていて、女の仔と間違えるほどでしたが、いざ乗ってみると、ほかの馬とはエンジン性能がまるで違う。すごいじゃなくて、やばい! というのが最初の印象でした」
走るのではなく、飛ぶ。デビューから引退レースまで、すべてのレースに騎乗した武は、彼のことを「英雄」と呼んだ。
(通算12勝/2歳新馬、若駒S、弥生賞、皐月賞、日本ダービー、神戸新聞杯、菊花賞、阪神大賞典、天皇賞・春、宝塚記念、ジャパンC、有馬記念)
(週刊FLASH 2018年10月9日号)