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原辰徳と杉村繁の明暗ほか「ドラ1ルーキー」ライバル物語

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.10.30 16:00 最終更新日:2018.10.30 16:00

原辰徳と杉村繁の明暗ほか「ドラ1ルーキー」ライバル物語

 

 ドラフト指名時に「ライバル」と称されたドラ1選手たち。プロで明暗を分けた例も少なくない。

 

【1975年】
 春のセンバツは、東海大相模高の2年生・原辰徳が人気だったが、決勝で対戦した高知高の3年生・杉村繁も小柄ながら、同じ「四番・サード」として注目され、「西の杉村、東の原」と称された。

 

 

 その後、杉村は同年ドラ1でヤクルト、原は東海大を経て、1980年に相思相愛の巨人に入団した。

 

 だが、つねに球界の王道を進んだ原に対し、杉村は大成には至らず、現役を引退。球団広報など裏方を長年務めたあとコーチとなり、青木宣親や山田哲人などを開花させ、存在感を示している。

 


【1983年】
 「山びこ打線」の池田高が騒がれた年。エースで四番の水野雄仁が注目されたが、夏の甲子園で対戦した中京高の野中徹博も屈指の豪腕投手だった。

 

 水野が巨人、野中が阪急に1位指名され入団。水野が主力投手となるなか、野中は肩を壊し6年で戦力外に。しかし、5年後に台湾球界を経て中日に復帰。そこから5年間現役を続けた。

 


【1987年】
 大きく美しいフォームから制球のよい投球で夏の甲子園4強入りした東亜学園高の川島堅。3球団が1位指名の末、広島に入団した。

 

 だが、この年は春夏甲子園連覇を果たしたPL学園高の立浪和義(中日)、橋本清(巨人)をはじめ、鈴木健(西武)、伊良部秀輝(ロッテ)、盛田幸妃(大洋)といった同級生もドラ1で指名され長く活躍。もっとも指名が重複した川島が、プロ通算1勝に終わるという皮肉な結果になった。

 


【1995年】
 PL学園高の福留孝介を7球団が1位指名したこの年は、同年春のセンバツで対戦し、互いに本塁打を打ち合った銚子商高の澤井良輔がライバルと呼ばれていた。

 

 ドラフトでは、福留の抽選を外したロッテが1位で指名。地元・千葉出身として期待されたが福留には遠く及ばず。通算6本塁打で現役を退いている。

 

 ドラフト1位指名は入口にすぎない。プロ野球人生の運命は神のみぞ知るというところだ。

 

文・キビタキビオ

 

(週刊FLASH 2018年11月6日号)

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