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元横浜・那須野巧は散財した契約金5億の残りで鉄板焼き店を
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.02 11:00 最終更新日:2018.11.02 11:00
2018年も逸材揃いだったプロ野球ドラフト会議。東大合格より難しいといわれる世界に飛び込んだ、かつての「選ばれしエリート」である元横浜の那須野巧(36)を訪ねた。
「店の経営状態は、けっこう厳しいっすよ(笑)。やる前からわかっていたことですが……」
現在の那須野は、板橋区の大山商店街の一角で、鉄板焼き店の「ひだまり」を経営している。192センチの長身をかがめて、看板メニュー「ひだまりスペシャル」を焼きながら往時を振り返る。
「8球団から指名の挨拶を受けたなかから横浜への入団を決めた理由は、スカウトの熱意にほだされたから。
甲子園にも行けなかった無名時代に、『これからも見ているから頑張れ』と名刺をいただいたのが出会い。以来、大学4年まで見に来てくれたスカウトの恩に報いたかった」
2006年を最後に廃止された自由獲得枠制度は、選手が希望球団を選択できる逆指名制度。契約金は吊り上がる一方。
セ・リーグ某球団から金銭面で破格の提示を受けるも、見送った。唯一、心がブレそうになったのは、パ・リーグ某球団スカウトが言い放った口説き文句だ。
「『うちの球団に来てくれたら一生幸せにする』という言葉に心が揺らぎました。もし、そこへ行けば一生幸せになれるのかと真剣に考えました。でも、東京出身なので、地方に本拠地を置くその球団が遠く感じて断わりました」
入団する際に手にした契約金は、当時の契約金の最高額1億5000万円を大幅に上回る5億3000万円、年俸3000万円。その使い道が大胆すぎる。
「ぜんぶ遊びに使って、今はありません。出すとこで出さないと、ケチくさいと罵られるのがイヤで、パーッと散財したんです。とはいえ、1000万円以上かかったこの店の開業資金と、家族の生活費にも回したかな(笑)」
期待に反してプロ生活は僅か7年で終止符を打つことになる。
「プロで成功する選手は、人を蹴落として這い上がってきた我の強い人ばかり。中学時代にサッカー部に入っていたような僕なんか甘かったんですよ」
なすのたくみ
1982年10月4日生まれ 東京都出身 横浜、ロッテでプレー。 1年めは先発ローテーション入り。プロ7年間の通算成績は121試合13勝27敗1S、防御率5.27
(週刊FLASH 2018年11月6日号)