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甲斐キャノンを育成「肝っ玉母ちゃん」との愛情LINE

スポーツ 投稿日:2018.11.15 06:00FLASH編集部

甲斐キャノンを育成「肝っ玉母ちゃん」との愛情LINE

左から甲斐、母・小百合さん、兄・大樹さん

 

 日本一の強肩を武器に、日本代表でも正捕手の座を掴んだソフトバンクの甲斐拓也(26)。日本シリーズでは、新記録となる6連続盗塁阻止を達成し、育成ドラフト出身選手として初のMVPを受賞した。

 

甲斐キャノン」の異名は、メジャー軍団にも轟き、世界屈指の名捕手、Y・モリーナ(カージナルス・36)にも「会いたい」と言わしめたほどだ。

 

 

「今回の侍ジャパンに選ばれ、拓也は『お母ちゃん、モリーナ選手が見れる。それだけでも俺、収穫や!』って、子供のように喜んでいました」(母・小百合さん)

 

 そんな甲斐が野球を始めたのは保育園時代、まだ5歳だった。小百合さんが述懐する。

 

「兄の影響で始めました。私はタクシーの運転手をしていて、仕事中に迎えに行っていました。昼寝している拓也を起こしてもらって、後部座席でユニホームに着替えさせてグラウンドに送っていく日々。

 

 練習は週5日とハードでしたが、雨が降って休みになると、悔しそうにしてましたね。本人は始めたころから、『キャッチャーをやりたい!』とばかり言っていました。たぶん、プロテクターをつけたかったんでしょうね」

 

 スタートが早かっただけに、頭角を現わすのも早かった。

 

「小2で、6年生の試合に出ても遜色ありませんでした。体調が悪くて学校を休んでも、練習には来るんです。さすがにそれはまずいから止めました(笑)」(光新少年野球部の元監督・渡辺朋也さん)

 

 中学では、硬式の大分リトルシニアに入団。当時監督を務めていた木本繁隆専務理事が振り返る。

 

「捕手をやることもありましたが、セカンドが主。腰が弱く、痛めることもあったから。

 

 でも、セカンドの守備は、九州でいちばんうまかったですよ。守備範囲が広くて肩が強いからアウトにできる。打って助けられたというのは、あまり記憶がないですが(笑)」

 

 甲斐家は拓也が2歳のときに両親が離婚。小百合さんが女手ひとつで育てた。時間の融通がきくこと、すぐに動けるようにと、タクシードライバーとなった。さらに、夜にはパチンコ店の清掃などもおこなっていた。すべては、息子2人のために。

 

「仕事を掛け持ちするようになったのは、拓也が高校受験のときで、兄の大学進学と重なったから。いちばん大変でした。拓也はそれを知っていたので、今でも『お母ちゃん、お母ちゃん』と言ってくれるんだと思います」

 

 母の大変さを知っていただけに、大分・楊志館高校では、より野球に没頭した。

 

「高3になると『僕はプロに行きたい』と、口にするようになりました。そのためには、本塁打を打って目立たなければと、3年時は20本くらい打ちました。

 

 西武の山川(穂高)選手のように、もう狙い打ちでしたね(笑)。熊本の文徳高校との試合では、1試合で6つの補殺を記録したこともありました」(楊志館高校の萩原田久生監督)

 

 甲子園出場はかなわなかったが、ソフトバンクから育成6位の指名を受けて、2011年に入団する。だが、そこからが本当の苦難の道のりだった。

 

 幾度となくプロの高い壁に阻まれ、三軍と二軍を行き来する日々で、なかなか支配下選手になれなかった。一軍昇格は、2014年のことだった。

 

「2016年ぐらいまで、毎日のように電話をかけてきて、『なんかヘマこいたん?』って聞くと、『そうや』って。私はひたすら聞き役に回ってましたね。

 

(契約更改が近づく)10月になると、『母ちゃん、イヤな季節がやってきたよ』とこぼしてましたが、2017年あたりから、『人事を尽くして天命を待つやわ』と話す内容も変わるようになり、『もう大丈夫やろ』と思えるようになりました」(小百合さん)

 

 そんな息子が、いまや日本球界を代表する捕手に成長した。日本一を成し遂げた夜、小百合さんの携帯には、成長した息子からLINEが届いていた。

 

「お母ちゃん、ありがとう!」


(週刊FLASH 2018年11月27日号)

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