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楽天入り「由規」プロを目指すきっかけは中1の米国投球体験
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.15 21:48 最終更新日:2018.11.15 21:48
11月16日、楽天イーグルスが元ヤクルト・スワローズの由規(佐藤由規)投手と育成契約を結んだことを発表。背番号は「123」となった。
甲子園で155キロを記録するなど、鳴り物入りでヤクルトに入団。1年目から一軍で投げ、2年目からは先発ローテーションに入るなど、将来を期待された。
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2010年当時、日本人最速161キロをマークするが、2011年に右肩の張りで離脱し、腱板を傷めていることが判明。2013年に手術を行った。懸命のリハビリを経て、2016年には1786日振りに1軍で勝利をあげる。
ついに復活かと思いきや、そこからまた右肩の調子が悪くなり、リハビリと復活の繰り返し。ついに2018年10月、ヤクルトから戦力外通告された。
落とされては這い上がり、また落とされるを繰り返した由規は、地元・仙台のヒーロー。そんな由規の幼少時代を、かつて本誌は両親に取材していた。
母・美也さんが肺炎にかかり、強い薬を飲んだときに妊娠が発覚。出産が危ぶまれたが、無事、この世に生を受ける。
由規は小4で野球を始めるも、当初は野球嫌いだったという。
「親に反抗したこともなく、上の子がやっていたので、当然野球をやると思っていたら、そのときだけ『なんでやんなきゃいけないの。イヤだイヤだ』と最初は泣きながらやっていました。小学生のころは運動会のリレーの選手に選ばれたこともないし、体つきもコロコロして運動神経がよくもなかったですね」(美也さん)
中1のとき、リトルリーグで優勝し、アメリカの世界大会へ。ノーヒットノーランを達成し、準優勝に貢献するなど才能が開花した。父・均さんがこう明かす。
「アメリカで4万人以上の観客のなかで投げたのが大きな経験になったと思う。このとき将来プロという気持ちが出たのかもしれないね」
だが、由規は中学生の頃から成長痛に悩まされ、両親のサポートのもと、地元の接骨院や体操の指導者から、筋肉や関節、体のバランスなどのアドバイスを受け、肉体改善していった。
「昔から鈍くさいから、治療も練習も本人が地道にコツコツやってきたんです」(父・均さん)
そのかいあって、高1の秋には140キロ台後半をマーク。2年夏の県予選決勝。0対0の延長15回と翌日の再試合を1人で投げ勝ち、初の甲子園を決めた。
そのときの様子を美也さんが振り返る。
「人前では絶対見せないんですが、家では泣くこともあったんです。高2の春に背番号1をもらったときに、上級生を差しおいていいのかという重圧からか泣き出したり……。主人が『そんなに自信ないなら明日、背番号を返してこい』と怒ったこともありました」
2015年2月17日付のサンケイスポーツで、由規はインタビューにこう答えている。
「(仙台育英)高校時代の部訓だった『本気になれば世界が変わる』と『死ぬ気でやれよ。死なないから』というのが好きな言葉。周りは無理をするなと言うけど、限界まで追い込みたい」
どんな状況でも諦めなかったのは、高校時代に培われた精神力、そしていつもそばで支えてくれた両親のおかげだった。
仙台で再起をかける由規は、故郷に錦を飾れるのか、注目である。