「悪質タックル」「奈良判定」が流行語大賞にノミネートされるなど、体育会パワハラが世間を賑わせた2018年。しかし、ひと昔前には、体育会は「理不尽」が日常だった。
今と昔は何が違うのか。理不尽な体育会出身の「元祖ミスター・ラグビー」松尾雄治氏(64歳)を訪ねた。
「高校時代は毎日、先生の家に泊まって、朝5時半に多摩川の河川敷で練習開始。学校まで10キロ走って朝礼だけ参加して、また10キロ走って、明大のグラウンドで練習。
高1のときは花園(全国高校ラグビー)で優勝したあと、夜行バスで帰京して、翌朝5時半から練習です。優勝なんて関係ない。とにかく我々に考える時間を与えてくれない。一日が終われば『よかった。今日も生きている』とホッとする日々でした」
1978年度から1984年度にかけ、新日鐵釜石で日本選手権7連覇。日本ラグビー界を牽引した松尾氏が思い出すのは、目黒高校(現・目黒学院)時代の故・梅木恒明監督だ。
「ラグビーで、半端者を世の中で生きていけるようにする。『戸塚ヨットスクールは甘い』という先生で、入部時に誓約書を書かされる。そんな先生に、親父が一目惚れしちゃってね。
『先生にすべてまかせます。もう殺してもいいです』とハンコを押しまくった(笑)。でもね、教育というのは、預ける親と先生がちゃんと会話していればいいんです。我々の時代はそれができた」
卒業後は明治大学に進学。ラグビー部の名物監督、故・北島忠治氏から指導を受けた。
「北島先生は本当の教育者です。『正々堂々』が先生の教え。相手チームに退場者が出たら『こちらも一人減らし、14対14で戦わせてほしい』と審判に頼んだことまであった」
4年生のとき、日本選手権で初優勝。北島監督も涙を流して喜んでくれた。
「私が成城大ラグビー部の監督を務めた7年間は“北島流” でやりましたよ。“梅木流”だと、みんなやめちゃう(笑)。
北島先生がおっしゃったように、私も学生を『4年間、練習を休まなかった奴は、これからの人生にすごいものが待ってるぞ』と送り出した。いまでもそう思っています」
(週刊FLASH 2018年11月13日号)