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大相撲の後援会長ってなんですか?当事者に聞いてみたら…
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.25 20:00 最終更新日:2018.11.26 20:04
7月の名古屋場所で初優勝を決めた御嶽海。その優勝パレードで旗手の栃煌山、そして御嶽海の前に座り、誰よりも目立つ位置で万歳をしていたおじさんがいた。出羽海部屋の名誉後援会長・中澤軍治さんだった。
「あの時はいろんな人から『グンちゃん、見たよ!』って電話がかかってきたよ。いい冥土の土産になったね」
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照れくさそうに笑う中澤さんは、業務用の乳製品などで有名な会社の役員でもある。物腰は終始柔らかく、気のいい痩身の老紳士という感じだ。
取材で訪ねた応接室の隅にさりげなく置かれたプレートを見てはっとを呑む。
〈第七代横綱 稲妻雷五郎 曾祖父〉
「中澤さん、これは?」
「ああ、そうなんだよ」と中澤さんは頷いた。それが現在の相撲道楽にも繋がっているのだという。
「18くらいの頃かな。おれは正則高校ってところに行ってたんだけど、近くに喫茶店があってね。バナナとミルクをこう、ミキサーしたものが名物でさ、そこによく寄ってたんだよ。
そうしたらたまたま、九州山さんがコーヒーか何かを飲みに来てたんだね。隣の麻雀屋に来て、その休憩だったのかな」
九州山義雄。1930年代に活躍した力士である。2人が出会ったのは1956年頃。九州山はすでに引退して、出羽海部屋OBであった。当時は40代前半だ。
「マスターとママがね、おれを紹介してくれたんだよ。『そこの軍治という坊やのひいじいさんは稲妻雷五郎、7代目横綱だ』ってね。そうしたら九州山さんが、『今度遊びにいらっしゃい』と言ってくれてね」
部屋に行き、稽古場で見学などしていると「2階に四角い土俵がお待ちでございます」と誘われて、一緒に麻雀をしたりしたという。
おれと同い年の付け人と打ち解けてね。ずいぶん夜遊びをしたよ。おれは酒はさほど飲めないくせにキャバレーに行くのが好きでね。恥をさらすようだけど多額のツケをためてしまって、親父に頭下げて払ってもらった」
「よく払ってもらえましたね」
「ううん、親父も相撲が好きだったからね。それから国技館に遊びに来いよ、なんて言われてさ」