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大相撲の後援会長ってなんですか?当事者に聞いてみたら…

スポーツ 投稿日:2018.11.25 20:00FLASH編集部

大相撲の後援会長ってなんですか?当事者に聞いてみたら…

左から出羽海親方、中澤さん、故・久島海関

 

 おれも図々しかったんだなあ、と中澤さんは腕組みして唸る。

 

「よく見に行かせてもらったよ。千秋楽パーティにも潜り込んだりしてさ」

 

 友達ということでの特別扱い。しかし、ある時の千秋楽パーティで、はたと気づいた。

 

「今は京王プラザホテルだけど、当時は部屋で千秋楽パーティをやっていたんだよね。で、いつものように入って見ていると、なにやら入り口でお金を払っている人がいるんだよ。

 

 あれはなんだと聞いたら、後援会というものがあって、一口5000円からお金を出すもんだと言うじゃないか。そんなこと全然知らなかったんだよ。『ああこれはいけない、ちゃんと払うものは払わなきゃ』と反省したんだ」

 

 それから中澤さんは正式に後援会に入り、支援を行うようになっていく。といっても、それまでの付き合いと、何かが本質的に変わることはない。

 

「北の富士も、まだペーペーだった。みんなで寝てるとね、綺麗な新宿のママさんが、お小遣いを持ってきて北の富士の枕にそっと入れていくそうでね。

 

 ああ、おれが見たわけじゃなくて義ノ花か誰かに聞いたんだな、仲が良かったから。義ノ花はお得意さんでもあったんだ。うちのクリームなんかを使ってくれてた」

 

 父の会社に入社し、役員として奔走しつつ、後援も続けた。

 

「牛乳をたまに届けたりもしたね。なんでも稽古終わってすぐに飲むと吸収がいいらしい。そんなこと知らなくて『ああ、そうなんですか』としか言えなかったな。

 

 就職先の相談にも乗ったよ。やはり引退後の働き先には困るからね。一時期、うちに元お相撲さんが五人くらいいたんだ。ビンで届いた牛乳をトラックから冷蔵庫に入れてもらったり、力仕事があったからね。もう昔の話だけれど」

 

 中澤さんは出羽海部屋と人生を一緒に歩いてきた。今の親方のことは、子供の頃から知っている。18歳から始まった出羽海部屋との付き合いは、62年目になる。

 

「初めは遊び友達だったのがね。だんだん若い者がどんなふうに育っていくのか、見ていて可愛くなってね。呼び名も変わっていくんだよ。

 

 初めのうちは『ナントカちゃん、いるかい』なんて呼んでたのが、偉くなってくると『よっ、大将いる?』なんてふうに。ナントカちゃんなんて呼べなくなる、いや呼べなくなってくれないとね、困るね」

 


取材・文/二宮敦人

 

にのみやあつと
1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに

 

(週刊FLASH 2018年11月27日号)

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