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貴景勝、極真空手から相撲に転身で快進撃が止まらない

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.11.29 06:00 最終更新日:2018.11.29 06:00

貴景勝、極真空手から相撲に転身で快進撃が止まらない

 

 千賀ノ浦部屋に転籍して迎えた九州場所で、初優勝した貴景勝(22)。昔からいまと変わらず、「稽古の鬼」だった。

 

「彼は小3から中3までうちの道場にいました。稽古は押し相撲が中心でしたが、普通の子は20番ぐらいでやめてしまう。

 

 

 ところが彼は30番、40番やってもへこたれず、しまいには50番、60番やって口から泡を吹いて、足が痙攣しても『もう一丁』と。何かあったらアカンと、こっちが怖くなりましたよ」(関西奄美相撲連盟・山口久義会長)

 

 場所前に2横綱が休場を表明し、稀勢の里(32)、豪栄道(32)までもが途中休場する事態。今場所は集客面で苦戦していただけに、貴景勝の存在は、まさに救世主だった。

 

 貴景勝の格闘技人生は、幼少期に始めた空手からだった。

 

「お父さんが有段者で、その影響で始めたのでしょう。彼は全国大会でも上位に入賞する実力者で、頑張り屋だった記憶があります」(極真会館関西総本部・坂本裕香氏)

 

 だが、ある大会の決勝での判定に納得がいかず、「判定のある競技はやりたくない」と、小3時からは相撲に転向した。

 

「お父さんが毎回稽古に来て、『何してるんだ。もっと行かんか!』と厳しく声をかけていました。勝負へのこだわりは、ほかの親子と比べものにならなかったですね。

 

 入ってすぐに、『将来は?』と聞いたら、『日本人横綱になる!』と即答でしたから」(前出の山口会長)

 

 父のスパルタは、食事面にも及んだ。

 

「体重を増やすため、父から450グラムのハンバーグ3枚、牛丼の特盛3杯を完食することを義務づけられていた。実際に小4で30キロ台だった体重は、小6で70キロ台になったが、トラウマとなって、ハンバーグが大嫌いになったとこぼしていた(笑)」(相撲担当記者)

 

 中学時代には、大学への出稽古も積極的にこなした。

 

「佐藤くん(貴景勝の本名)が中3のころで、ウチの大学の1年に宇良がいた。130キロの佐藤くんと体重差(宇良は65キロ)はあったけど、圧倒的に佐藤くんが強かった。『中学生でなんでこんなに強いの?』という驚愕が頭に残っている」(関学大相撲部の石坪昭宏総監督)

 

 その後、貴景勝は中学卒業と同時に角界入りを目指した。それを説得し、埼玉栄高校へ入学させたのが、同高校の山田道紀相撲部監督だった。

 

「基礎体力を作るうえでも、ウチに来てはどうかと誘いました。彼は幼いころから『横綱になる』と公言していましたし、稽古への貪欲さは飛び抜けていました。朝、夕の稽古に夜はランニングもあるんですが、彼はその後も一人で筋トレやダッシュを繰り返していました。

 

 相撲に対しては寡黙で神経質。そのほうが強くなりますね。勝っても反省するから。でも、土俵を離れるとおしゃべりで、明るい子でした。

 

 身長は? と聞くと、いつも180センチと(実際は175センチ)。足もそれほど大きくなかったけど30センチの靴を履く。それくらい大きくなりたいから、イメージが大切なんだと言ってました(笑)」

 

 九州場所の優勝で、初場所はいよいよ大関獲りへと勇往邁進する。

 

(週刊FLASH 2018年12月11日号)

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