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野田浩司いまだから語る「旅行でトレード成立が遅れた(笑)」
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.12.18 06:00 最終更新日:2018.12.18 06:00
1992年オフ、当時は阪神に所属していた野田浩司(50)は、電撃トレードでオリックスに移籍する。そのトレード相手は、オリックスの前身・阪急時代から球団の顔だった、松永浩美だった。
トレードの内幕を野田と元オリックス球団代表・井箟重慶(83)が語る。
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――井箟さんがトレードで野田さんに白羽の矢を立てられた理由は何だったんですか?
井箟 当時、投手が足りなかった。完投できる先発投手が欲しかったんです。でも完投できる投手というのは上位クラスの投手なので、どのチームに行っても簡単には出さない。阪神から「誰とですか?」と聞かれたとき、それなりの選手を用意しないといけないということで、松永を出したんです。
野田 トレードの後、すぐに言われたのが「1万円札と千円札を交換した」と(笑)。実績が全然違いますから。松永さんなんか3割を何年も続けて打っているバリバリの頃でしたからね。
井箟 いまだから言うけど、この話を阪神に持ち込んだとき、当時の三好一彦球団社長に直接電話して、会ったんです。「二人だけの話やで。俺も監督としか話してない。オーナーとも話してない。あんたも絶対に球団内で誰にも話さないでくれ。でないと、この話が絶対に潰れるよ」と言いました。
三好さんが「どういうことですか」と言うので、「うちは松永を用意するので、これを指名したってことになったらマスコミが大騒ぎになるから、ほかの人に話してはいけない」と口止めしました。
野田 12月だったんですけど、話がまとまるのに時間がかかったんじゃないですか?
井箟 阪神の中でゴタゴタがあったんだろうな。
野田 じつは僕が1週間ぐらい旅行に行ってたんですよ。家に帰ったら、何回も球団から留守電が入ってたんです(笑)。「ちょっと話したいんやけど、電話ください」って。1週間で3~4回入ってました。
井箟 それで時間がかかったんかな(笑)。
野田 折り返しで電話したら、最初は監督が会いたいと言うので、「来年は抑えをしてくれって話かなあ」とのんきに考えていたんです。そうしたら、前の日に電話がかかってきて「(会うのが)監督から社長に変わったから」と言われたんです。「あ~、もうトレードしかないわ」と思いました(笑)。
井箟 当時は何年めだった?
野田 5年めでしたね。優勝争いをしていた年のオフだったんで、来年こそ優勝や! ってなっていた。決まったのが12月27日か28日で、ちょうど正月に入る時期だったのが助かりました。
気持ちがスッキリ切り替えることができたんです。年越しで、よっしゃー! やるぞ!! という気持ちで。
(甲子園のある)西宮に家を買っていたんですけど、こんなところから通いたくないわと思って、すぐに神戸に引っ越しました。(西宮だと)「阪神の野田」というイメージが残りますから、引っ越しをまず決めて、年越しから完全にオリックスモードになりました(笑)
のだこうじ 1968年2月9日生まれ 熊本県出身 1987年にドラフト1位で阪神に入団。オリックスへ移籍した1993年は最多勝投手に。「お化けフォーク」を武器に1995年には1試合19奪三振の日本記録を達成。推定最高年俸は、1997年の1億1500万円。現在は神戸市で料理店「まる九」を経営
いのうしげよし 1935年3月15日生まれ 岐阜県出身 1959年に丸善石油入社。丸善石油野球部マネージャーの経験を買われ、1989年に球団常務としてオリックス入団。翌年から2000年まで球団代表を務めた。その後、球団顧問などを務め、2002年から関西国際大学で教鞭を執り、現在は名誉教授