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契約更改「ゴネれば得なのか」当事者が明かす

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2018.12.20 06:00 最終更新日:2018.12.20 06:00

契約更改「ゴネれば得なのか」当事者が明かす

 

 イチローをはじめ、長谷川滋利、田口壮、野村貴仁など、のちのメジャーリーガーが多く在籍していた1990年代のオリックス。当時、最多勝を獲得するなど主力投手として活躍した野田浩司と、球団代表を務め、契約更改を担当した井箟重慶氏が、選手たちの素顔を語る。

 

――当時のオリックスは個性あふれる選手が多かったですよね?

 

 

野田 契約更改で揉める人もいた。野村(貴仁)が僕のところに、よく契約更改について聞きに来てました(笑)。あれはもう毎年のように揉めてましたもんね。

 

井箟 だって、むちゃくちゃやもん。あれは理屈がないんだよ。自分の言いたいことだけをわぁーと言うだけ(笑)。

 

野田 年俸調停にも行きましたもんね。結局、球団が勝ったんですよね。

 

井箟 そりゃそうや。自分の言いたいことを言って、何でもかんでも通そうとするやり方だから、そりゃ通らないよね。極端な話、俺はこんだけほしいんだから、何が何でもこれだけくれっていう。

 

――野田さんはほかの選手の契約は気にならないんですか?

 

野田 ベテランの佐藤義則さんとかは、そんなに年俸が上がる時代の選手じゃなかったから、ポッと出の僕らが佐藤さんよりももらっていいの? という感じでした。

 

井箟 野手の給料ってそんなに気にしない? 当時だったら田口(壮)が上がったとか。

 

野田 エラい上がったな~とか、もうちょっともらっていいんちゃう? とか、そういう見方ですね。

 

井箟 「あいつがいくらだから俺も」という比較とは違うということやね。プロ野球選手というのはおもしろいんですよ。投手はみんな「仲良しクラブ」。野手は野手で固まっているか、というとそうは見えないんだけどね。

 

――野田さんが年俸の比較にしていた投手はいらっしゃいますか?

 

野田 長谷川(滋利)くんと星野(伸之)さんですね。やっぱり、同じ先発投手なので。

 

井箟 ややこしい選手じゃないけど、長谷川はよう喋るんだよ。今年は何勝しました、何イニング投げましたとか。だけど、「お前はエース格の投手なんだから5割(その年の長谷川は11勝9敗)じゃダメだ」と言った。長谷川が「どうしたらいいんですか?」と聞くから、「優勝せえ!」と。そしたら本当に次の年優勝しちゃって。そのときの更改では胸を張って入ってきたよ(笑)。

 

野田 彼はよくメジャーに行かせてくれ、と。

 

井箟 そうそう。最初からメジャー志向で、俺はそれも言っていたの。「優勝してくれて、2桁勝ったらメジャー挑戦もしゃあないな」と。それで優勝しちゃったんだよな。

 

 あと、あいつは土井(正三)さんが監督のときに、リリーフに回ったことがあったんだ。そしたら、その年の更改のときに部屋に入ってくるなり机を叩いて怒ってるんだよ。それで言うの。「言っときますけどね、僕は学生時代から後ろ(リリーフ)なんかやったことないんです! 監督に言ってください! 来年は後ろなんかやりませんからね。エースというのはそういうもんでしょ」と(笑)。

 

野田 まだ2年めとかのときですよね。1年めは先発で新人王取ってるんで。

 

井箟 長谷川がアメリカに行ったときに、向こうの監督が「長谷川のビデオはあるか」と聞いてきた。それでテープを渡したら、監督が「先発とリリーフのどっちもできる投手だな。でもリリーフのほうがいいかな」と言うんだよ。

 

 だから、俺は「こいつはリリーフで使うと言ったら、ごっついゴネるよ」と言っておいたの(笑)。1年めは先発やってたやろ。でも2年めからリリーフに回されて。その後、長谷川に「なんでリリーフやってるのに、向こうではごねないのか?」と聞いたら、「いやあ」とか言ってごまかしてた(笑)。

 


のだこうじ
1968年2月9日生まれ 熊本県出身 1987年にドラフト1位で阪神に入団。オリックスへ移籍した1993年は最多勝投手に。「お化けフォーク」を武器に1995年には1試合19奪三振の日本記録を達成。推定最高年俸は、1997年の1億1500万円。現在は神戸市で料理店「まる九」を経営

 

いのうしげよし
1935年3月15日生まれ 岐阜県出身 1959年に丸善石油入社。丸善石油野球部マネージャーの経験を買われ、1989年に球団常務としてオリックス入団。翌年から2000年まで球団代表を務めた。その後、球団顧問などを務め、2002年から関西国際大学で教鞭を執り、現在は名誉教授

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