「昔はいまよりも強い力士がいっぱいいたんだ」
かつての猛者たちは口をそろえてこう語る。元横綱・武蔵丸、そしていまも人気がある芝田山親方(56)が、かつて繰り広げた、記憶に残る「名勝負」を振り返る。
「2018年は栃ノ心が大関に昇進したし、御嶽海も大関獲りに挑戦したしね」
そう語りはじめた親方の記憶に残る一番はずばり、自らの大関昇進を決定づけた取組だ。
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1985年7月場所。大乃国は関脇で5場所連続勝ち越し中。3月場所は9勝、5月場所は10勝で迎えた名古屋だった。横綱・隆の里、大関・朝潮らをくだし、11勝3敗で迎えた千秋楽。相手は小錦。
「はっきりいって、イヤな相手だった。なんといっても大きいし、下から一気に上がってきた勢いもあった」
小錦とはそれまで5回対戦し、2勝3敗。
「とにかく突き飛ばされないこと。まわしを取りたいけど、がっぷり四つにもなりたくない。自分にとっていちばんいい形、左の上手を引いて、右の前まわしをいかにして取るか。考えに考えましたよ」
大事な一番だった。勝てば大関昇進の可能性あり。もし見送られても、勝っておくことで、次の場所での昇進に大きな影響を与えることを本人は十分に理解していた。
「絶対に勝っておかなくてはいけない一番。それに、関脇を長くやると大関になれないって、へんなジンクスもあって(当時は関脇として通算9場所め)。いろんなことが頭の中でぐるぐるしていた。
うまく左上手を取って自分の形になった。さあ出るぞとなっても、やっぱり小錦は重い。慌てて出ていって、つきひざになってもいけない。
体が離れれば突き落とされたり、バランスを崩すこともある。とにかく慌ててはいけない。俵が目に入っても急いではだめだ。そんな感じで、寄り切るまでの時間がとにかく長かった」
実際には、約10秒で勝負はついたのだが……。
「何分にも感じられた一番だったな、あれは。最終的には、自分に自分がどう打ち克つかということだと思う」
相撲は力だけの戦いだけではない。自分自身との精神面での戦いが大事なのだと、名解説でも知られる親方は語るのだった。
◯大乃国(寄り切り)小錦●【1985年7月場所千秋楽】
第62代横綱・大乃国/現・芝田山親方
(おおのくに/しばたやまおやかた)
1962年10月9日生まれ 北海道出身 1978年3月初土俵。幕内優勝2回。生涯戦歴560勝319敗107休。1991年引退。1999年、芝田山部屋を創設。現在は相撲協会理事
(増刊FLASH DIAMOND 2018年11月10日号)