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元小結・高見盛の「わが生涯最高の一番」2003年の朝青龍戦

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.12 16:00 最終更新日:2019.01.12 16:00

元小結・高見盛の「わが生涯最高の一番」2003年の朝青龍戦

 

「昔はいまよりも強い力士がいっぱいいたんだ」


 
 かつての猛者たちは口をそろえてこう語る。元小結・高見盛で、現・振分親方(42)が、かつて繰り広げた、記憶に残る「名勝負」を振り返る。

 

 

「気づいたら勝っていた。そんな感じでした。後から見返すと、立合いで張り手を食らっているんですけど、痛みは何も感じていませんでした。それだけ、相撲に集中できていたんです」

 

 2003年7月場所。朝青龍は大関をわずか3場所で通過し、横綱となって3場所め。高見盛と朝青龍は、初土俵が1場所違いのほぼ同期、同じ一門で、よく稽古をしていた間柄だった。

 

「最初から闘争心がすごかったですよ。身体能力もさることながら、あの気迫。横綱になる人は、やはりオーラがあると思いました」

 

 名門の日大相撲部から入門、1年あまりで新入幕とスピード出世した高見盛だが、右膝の靱帯を断裂する大怪我で幕下まで番付を下げてしまう。その間に、一気に番付を駆け上がっていったのが朝青龍だった。

 

「自分は小心者、弱い男です。土俵に上がっても、大怪我のことを思い出して怖くなるし、相手のことだって恐ろしい。そういう恐怖心を振り払うために、わざと自分で自分をぶん殴って気合を入れていたんです」

 

 対戦は超満員の中日、結びの一番。代名詞である「ロボコップ」スタイルで自らを鼓舞し、場内大歓声のなか、高見盛は無心でぶつかっていった。横綱の投げをこらえ、得意の右四つの形から一気の寄り切り――。

 

「『ゾーンに入る』と言いますが、その状態だと思います。理想的な自分の相撲を横綱相手にできた。よく『勝った後土俵で、やった! と叫んでましたね』と言われるんですが、違うんです。もう何がなんだかわからなくて、『勝ったか、勝ったのか?』って自分に確認していたんです」

 

 高見盛は「自分」ではなかった、と振分親方は振り返る。

 

「今思えば、自分とは別の存在。多重人格じゃないですけど、鼓舞することで自分の中から相撲の力が出てきて、支えてくれる、助けてくれる。あの一番も、そうやって高見盛が力を貸してくれたと思っています」

 

○高見盛(寄り切り)朝青龍●【2003年7月場所8日目】

 


元小結・高見盛/現・振分親方
(たかみさかり/ふりわけおやかた)
1976年5月12日生まれ 青森県出身 日大から東関部屋に入門、1999年3月初土俵。生涯戦歴563勝564敗46休。2013年に引退し、年寄・振分を襲名。現在は東関部屋で指導にあたる

 

(増刊FLASH DIAMOND 2018年11月10日号)

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