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朝青龍は極太好き…横綱の「綱づくり」に密着
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.01.28 06:00 最終更新日:2019.01.28 06:00
作家・二宮敦人による、角界ルポ。今回のテーマは「世話人」。文字どおり相撲のあれこれを世話する裏方である。
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「世話人」という役職の仕事内容が、いまだによくわからない。理解できないわけではないが、多岐にわたりすぎて掴みづらいのだ。世話人の筆頭、白法山さんの仕事の合間を縫って、話を聞いた。
「今日は綱打ちをします」
綱打ちとは何かもよくわからないまま、僕は宮城野部屋にやってきた。階段を上がった2階には、たくさんの力士が集まっている。
足元には細長い真っ白の布が3つ、並べられている。晒木綿だという。それぞれ布は3重になっているようだ。
布の上には、さきいかのようなものが山状に積まれている。これは麻の繊維そのもの。茶色くてガサガサしている。白法山さんが繊維に触れて、慎重にその量を確かめていた。
ここから3本の縄を作り、縒り合わせて1本の綱を作る。綺麗な形にするためには、この時の調整が重要なのだという。3つの繊維の塊をそれぞれ少し足したり、はさみで切って取り除いたり。
調整をしたのち、布で繊維をクレープのようにくるむ。部屋の力士たちの手も借りながらの作業だ。大男たちが、太い指で丁寧に丸めていく。
中心部に繊維を包んだ丸いクレープが、3本できた。1本の太さは、いちばん太い部分で大根くらい。中央部を捻り合わせ、さらしで結ぶ。中心に赤鉛筆で印。ここが横綱のへその位置になるという。
次にこれを土俵まで持っていき、テッポウ稽古用の柱に中央部をゆわえつける。それから畳んでおいた端の部分を伸ばし、3本の縄を部屋いっぱいに広げた。
部屋中の若い者が総出だ。ふんどしに前掛けをし、手には新品の軍手をつけて集まってくる。神聖な縄だから、汚さないようにということらしい。
土俵の上にはブルーシートが敷いてあるが、それでも決して縄を地につけることはない。常に誰かが手に持っている。
縄にそれぞれ追加で麻を入れ、銅線を仕込む。この頃にはたくさんの見物客が集まってきていた。しばらくがやがや雑談も聞こえたが、ふと部屋が静まりかえる。
「じゃあ、いくぞ」と白法山さんの声。
「うーっす」
3本の縄の付け根付近を、世話人が4人がかりでがっしりと押さえている。力士たちは2列に並び、1列ごとに1本ずつ縄を保持する。残りの1本は座布団を敷いた上に寝転がった力士が下から支え、端をもう1人が持つ。手前では太鼓を構えている力士もいる。いったい何が始まるのか。
「ひーふーみ」
「そおれ、1、2、3!」
「ひーふーみ」
「そおれ、1、2、3!」
世話人が音頭を取り、全員が声を出す。1、2、3で太鼓が鳴る。なるほど、リズムに合わせて縄を縒りながら、受け渡していくのだ。
左の列の力士は寝転がった力士に、寝転がった力士は右の列の力士に、右の列の力士は左の列の力士に。それを何度も繰り返すことで、3本の縄は1本の大きな綱になってゆく。何とも景気のいいかけ声で、何かの祭りのようだ。
リズムは初めはゆっくり、だんだん早く、そしておしまいもまたゆっくり。少しずつ3本の結び目が端へ移動するので、世話人たちも端に移動していく。
いちばん端まで行ったところで、白法山さんが端っこをさらしできつく結んだ。OK。左右両側で作業を終え、長さを揃えたり、形を整えた後、紙垂(しで)をつけて微調整を施すと完成である。
それは、横綱が土俵入りの際に巻く綱であった。なぜ横綱が綱なんて巻くのか疑問だったが、こうして完成品を目の当たりにすると頷ける。それは白く輝き、そのねじれ方には巻き貝のような数学的な調和がある。神々しくすらあった。
しばらくすると、白鵬が現われた。鏡を前にして立ち、試しに土俵入りの仕草をしてみせる。綱の「試着」をするのだ。
「足腰が硬い人と、柔らかい人とがいるからね。きちんと動作ができるよう、最後に調整をするんだ。ああ見えてかなり重いから。化粧まわしと合わせたら20キロ、いや、もっとかな」(白法山さん)
ひと段落したところで、白法山さんと、同じく世話人の斎須さんにお話を伺った。白法山さんが静かに煙草をくゆらせる。大きな眼鏡をつけた斎須さんが呆れたように言う。
「個人の好みもあるよ。朝青龍はめちゃくちゃ太くしてくれ、と言うんだ。布の余裕がなくなるくらいだったなあ」
――ああいった綱は、業者から買ってるのかと思ってました。
白法山さんがニッと笑った。
「ううん。ほら毎年国技館で子供の相撲、やるでしょう。わんぱく相撲全国大会。あの優勝者がつける綱も、俺が作ってるよ」(白法山さん)
ちなみに余った綱は縁起物だ。世話人たちが均等に割って、お世話になっている方へ差し上げる。お正月のしめ縄にしたり、強い子が産まれるようにと、安産のお守りにする人もいるそうだ。
――綱はずっと昔から、同じ作り方なんですか?
「そうだね。やりながら覚えていくんだ。古い親方連中や、定年になった頭が来て教えてくれたこともあるよ」(白法山さん)
「ただ昔と完全に同じかというと、それはわからない」(斎須さん)
白法山さんと斎須さんは、代わる代わる言う。
「昔の錦絵なんかを見ると後ろ側がこう、寝てるんだよ」(白法山さん)
僕は振り返り、完成したばかりの綱を眺めた。白鵬の背中では、蝶結びがぴんと立っている。
「だから当時は銅線は入れてなかったはず。どこかで入れるようになったんだろうね。それから昔は、今みたいに綱が太くないんだ。だんだん太くなっていった」(斎須さん)
相撲の世界にも色々な変化があったのだ。
2人が角界に入ったのは1971年で白法山さんが16歳の時、斎須さんが15歳の時だという。2人とも15年間土俵の上で戦い続け、同じ頃現役を引退。それから33年間、こうして世話人を続けている。
「今と違ってね、口減らしの感覚でお相撲さんが部屋に入ってきた時代だったよ。ご飯がいっぱい食べられるからってね」(白法山さん)
「部屋に置き去りにされてさ、呼出になった子供もいたなあ。おんぶして巡業を回ったもんだよ」(斎須さん)
そう、2人は相撲を半世紀にわたって見てきたのだ。斎須さんが、しみじみと振り返る。
「情緒があったなあ。今の子はちょっと可哀想だ、バスで行ってホテルに泊まるだけ。札幌では小川のそばで稽古してなあ。体が熱くなってくると川に放り込まれるんだよ。冷たくてシャキッとする」(斎須さん)
「真夏はね、川があったら相撲取りがいっぱい入ってたもんなんだよ。昔はね」(白法山さん)
お相撲さんが、もっと身近だった時代があったのだろう。世話人を理解するために、僕がまず知るべきだったのは、仕事内容ではなかった。相撲という世界だったのだ。
相撲とは、全国を回る旅の一座。ひとつところに留まらず、己を磨き、戦う人々の集団。そこには往にし方より、僕たちの世界とはずいぶん違うしきたりがあり、やり方があり、仕事がある。
それら一切を世話する人を、世話人というのだ。
にのみやあつと
1985年生まれ。小説作品に『最後の医者は雨上がりの空に君を願う』。初のノンフィクション作品『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』が12万部を超えるベストセラーに
(週刊FLASH 2019年2月5日号)