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2011年箱根駅伝「早稲田」を優勝に導いた男はいまJRの運転士
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.02.09 16:00 最終更新日:2019.02.09 16:00
日本人で初めてオリンピックに出場した金栗四三はマラソン、三島弥彦は100メートルはじめ短距離走の選手だ。それから100年以上、「走る」ことで日本人を魅了してきた多くの人々がいた。レースという熱狂の後、選手たちは人生をどのように駆け抜けてきたのか。
2011年の箱根駅伝6区、「山下り」でのデッドヒートのなか、記憶に残る走りを見せたのが、当時早稲田大学4年生だった高野寛基さん(30)だ。
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「スタートから飛ばしすぎたせいで3、4キロの時点で、脚がまったく動かないような感じでした。でも、意外にも前の東洋大の選手との距離が詰まっていて、相手の背中が見えた瞬間『これならいけるかも』と気持ちが高まりました」
2位でスタートしながら、首位に躍り出る快走を見せていた。だが、当日の箱根は寒さが厳しく、道路は凍結。首位争いが熾烈になった15.5キロ付近で、なんと転倒するアクシデントに見舞われた。
「雪国育ちで、雪道を転ぶことに慣れていたので動揺はなかったです。怪我も負わず、アドレナリンがマックス状態になりました(笑)」
その後トップを奪還し、そのまま独走。早稲田大は7区以降もトップを死守し、総合優勝を果たした。
卒業後は、競技から離れてJR東日本に入社。地元・長野で勤務し、2017年から運転士になった。
「この仕事はランナーと共通する点が多いです。つね日頃から時間にめっちゃこだわりを持っていて、秒単位ぴったりで電車を走らせたときは爽快(笑)。性に合っています」
たかのひろき
1988年4月14日生まれ 佐久長聖高校卒業後、早稲田大学に進学。現在はJR東日本の長野支社勤務。将来の目標は働きながら、長野県内の中学校で後進の指導にあたること
(週刊FLASH 2019年2月12日号)