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清宮幸太郎の右手首骨折は、天国と地獄の別れ道

スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.06 20:22 最終更新日:2019.03.06 20:22

清宮幸太郎の右手首骨折は、天国と地獄の別れ道

 

 3月5日、右手有鉤(ゆうこう)骨骨折のため手術を受けた、日本ハムファイターズ清宮幸太郎(19)。復帰までは3カ月の見通しとされ、期待の2年めシーズンも早々に離脱することとなった。

 

 3月3日のオープン戦で負傷交代していた清宮だが、異変にいち早く気付いたのは、日本ハムやDeNAで活躍した解説者の森本稀哲氏。森本氏は、その日のうちに自身が出演したテレビ番組で「有鉤骨の骨折の疑い」を述べていた。

 

 

 なぜこんなにも早く指摘できたのか? それは、森本氏自身も現役時代の2012年に「左手有鉤骨」を骨折していたからだ。

 

「有鉤骨」の骨折が、一躍有名になったのは1986年9月のこと。
優勝争いを繰り広げていた広島と巨人の一戦。巨人の四番打者・原辰徳が、「炎のストッパー」こと広島・津田恒実(故人)が投じた一球をフルスイング。

 

 原のバットは津田の直球をとらえたが、そのときに原の手首の「有鉤骨」がボールの衝撃で砕けてしまう。

 

 これは、プロ野球屈指の名勝負として語り継がれているが、これ以降、「有鉤骨」はたびたびプロ野球の打者を苦しめてきた。おもに打球を放った際、左打者の右手首に、右打者の左手首に起こることが多い。

 

 原は翌年以降も四番打者として十分な活躍を続けるが、左手首の違和感には長年悩まされたという。

 

 DeNA時代に骨折した森本は、翌2013年は4試合の出場にとどまり、完全には再起できぬまま2015年に引退。

 

 打点王にも輝き、当時近鉄の四番だった石井浩郎も、1996年の開幕早々に「左手有鉤骨」を骨折し離脱すると、その後は目立った活躍ができなかった。

 

 先日、ベッキーとの結婚が発表された片岡治大も、巨人時代の2016年に「左手有鉤骨」を骨折すると、翌2017年は一軍出場できないまま引退した。

 

 一方で、このケガから復活を遂げたのは、清宮の日本ハムの先輩・中田翔だ。

 

 入団1年めの2008年7月の二軍戦で左手首の痛みを訴えると、「左手有鉤骨」の骨折が判明。そのシーズンを棒に振ったが、翌2009年には一軍デビューを果たし、侍ジャパンの四番打者まで登りつめた。

 

 近年では、ヤクルト・雄平も2017年に「右手有鉤骨」を骨折。だが、2018年には打率3割を記録するなど見事な復活。中日の高橋周平も2016年に「右手有鉤骨」を骨折し、翌2017年は成績が低迷。だが、昨年2018年は初の規定打席到達を果たすなど、成長が期待されている。

 

 復活を遂げるか、再起できないか。「有鉤骨」骨折の前例を見ると両極端な結果となっているが、はたして清宮はどうなるだろうか。

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