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八村塁、野球からバスケ転向で「東京五輪の救世主」に
スポーツFLASH編集部
記事投稿日:2019.03.21 06:00 最終更新日:2019.03.21 06:00
全米大学体育協会の第9地区でMVPに輝くなど、米バスケ界で注目を集めるゴンザガ大学の八村塁(21)。身長204cm、足のサイズは36cmの彼は、華麗なダンクに加え、近年は3ポイントなど外角シュートの進歩も見せている。
オールラウンダーとしての評価も高く、2019年6月のNBAドラフトで、1巡目指名が確実視される逸材だ。ベナン人の父親と日本人の母親を持つ彼は、日本人にとってとてつもなく高かった壁を打ち破ろうとしている。
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アスリートとしてのスタートは、富山県富山市奥田で始まった。
「富山県は何もないところですが、そういうところが好き。あそこからすべてが始まっているし、富山が恋しい……」(八村)
もっとも、幼少期に熱中していたのは、野球だった。当時、彼が所属していた「奥田少年野球クラブ」の元監督・高嶋信義氏が当時を振り返る。
「小2で入部してきましたが、当時から体が大きく、図抜けた身体能力の持ち主として有名でした。彼はバスケも好きだったので、取り合いになった。うちに入ってくるとわかったときは、嬉しかったなあ」
才能はすぐさま開花した。
「球速があって球質も重かったので、キャッチボールでさえ、子供が手を傷めてしまう。ほとんど僕が相手をしていました。投手をやらせたけど捕手がとれない(笑)。小学生で、あの子の球を打てる子はいませんでした。
それで捕手や一塁をやらせた。芯に当たればまずホームラン。ゴロでも打球が速く、内野手が一歩も動けない。しかも足が速すぎて、盗塁はフリーパスでした」(高嶋氏、以下同)
小学5年生のとき、奥田小の代表として陸上大会に参加。陸上部ではないにもかかわらず、100m走を大会新記録で優勝した。
高嶋元監督には夢があった。それは同クラブからプロ野球選手を生み出すことだった。
「塁には、その可能性がおおいにあった。小6のとき、いろんな中学の監督さんに『彼に話をしてくれ』とお願いしました。彼も熱心に話を聞いていたので、野球を続けてくれると思っていたのですが……」
だがその願いはかなわず、奥田中学に進むと、バスケ部から熱心に誘われて入部する。
誘ったのは現在、日本代表でチームメイトとなった馬場雄大(23)。だが、入部当初は、上級生はおろか、同級生にも歯が立たなかったという。それを補ったのは、自主トレとNBAの映像を繰り返し見た研究熱心さだった。その甲斐あって、3年時には全国大会で準優勝。
高校は、バスケの強豪である仙台の明成高校に進学。1年から主力として活躍し、全国大会3連覇を果たした。2015年には、高校生として唯一、日本代表候補にも選出された。
「卒業間近のころ、『大学はアメリカに行きます』と、挨拶に来てくれたんです。大きな目をクリクリさせて、希望に満ちた表情だった。『成長したなあ』と嬉しかったですね」
やはり八村にとって、富山は特別で、特別な人たちがいる場所なのだろう。
「東京五輪での活躍はもちろんのこと、その前に、6月にはNBAのドラフトがあります」
富山の恩師は、八村少年が「プロ選手」になる日を心待ちにしている。
(週刊FLASH 2019年4月2日号)